「苦心の中に、常に心を悦ばしむるの趣を得 」

  苦心惨憺している時にこそ、心に悦びを感じるものだ。もがき苦しむほど、また悦びも大きいものだ。とは「菜根譚」に書かれている。書かれたことは実感であるから、また共感し得るのである。しかし真剣に取り組み、心底より苦しみ抜いた人間にしか、味われない事でもある。そしてまたその人間にしか本物の「愛」とか「情」とか「優しさ」「温かさ」等が解からないものでもある。

  「逆境」こそが人間を育て心を豊かにするものだ。しだがって若者にこそどんどん逆境に挑戦してもらいたいものだ。

  最近の犯罪被害者に弱者が目立って多いのはなぜなのか、と考えた時、「加害者」にこれ等が全く欠如している為ではないかと思った。つまり安易に落ちこぼれる社会、苦労するより安易に逃避を許す社会、に問題の本質が有るのではないのか、と思う。
  社会的弱者の為の救済措置が、弱者を装った卑怯者を生み出し育て上げている社会構造が残念でならない。そして またその卑怯者たちが、卑怯極まりない犯罪を犯すのである。およそ人間に有るまじき犯罪を簡単に犯してしまうのである。自ら苦しんだことの無い人間は人の苦しみも痛さも悲しさも理解出来ない欠陥人間であり、事実人間の形をした動物にも劣る生き物が育成されているのだから堪らない。

  新政府の目玉は「地方創生」のようであるが、具体策は殆ど無いようである。ならば無職の若者に失業手当などやらずに、農業、林業、漁業、鉱業等に労働力として従事させ、心身を鍛えながら地方創生に一役担わせるのが、本人の将来と日本の未来のために絶好の施策ではないかと思うが如何なものか。政治家共が人気取りではなく本気で考えねばならない時なのだ。

2014年09月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「人の学ばずして能くする所のものは、その良能なり。慮らずして知る所のものは、其の良知なり。 」

  孟子にある言葉で、幼児が親を愛し、成長すれば年長者を敬うようなことを、自然に理解するのは、人には生まれながらにして、この「良知良能」が備わっているからだ。それが人間のすぐれたところであると言う。ところが最近の日本では、親がすがりつく子共を見殺しにするは、大人が子共を誘拐したり、殺したりする。もはや人間の仕業とは思えない昨今である。この情けない現状に唖然とし、何とか成らないものかと憂いている。昔の日本は貧しくとも人の道はあったように思われる。ところがはるかに豊かになった今、一見末世的な症状に陥っているのはなぜだろう。

  一方「性悪説」というのもある。学ばねば善人にはなれないというものだが、獣でさえ我が子を必死で守るのをみれば、「性善説」の方がなじみ易い。とすれば邪悪な心は後天的なものなのだろうか。

  成長に伴って邪悪なものを知り、邪悪な物を見て、その色に染まっていくのを学問や良識良心が食い止めていると考える方が理解され易い。と考えると、やはり戦後の教育に問題があったと考える方が、早道ではないかと。曰く権利を主張し義務を疎かにしている、それも未だ未成熟の子供の権利が大きくなり過ぎ、大人が指導、矯正しにくくなって来た事は事実です。未熟であればあるほど、邪悪な物に興味を持ち、隠れても求め馴染んでいく。当然これにブレーキを掛ける必要があるのだが。親も学校も周囲の大人もこれ等を放任して見て見ぬ状態であったことも事実だ。一方自由が無かった反省から自由教育が主唱され、個性の尊重、才能の育成が求められ、子供達は緩い縛りの中で自由な育ち方をし、新しい文化を好んで吸収し育ててきた事も事実だ。

  今や日本が国際的文化の発信地になって来たことも確かであり、芸術でも、文化、科学でも日本人の活躍が目立って来ている。喜ばしい限りである。この方々の多くが、いや殆どが戦後の自由な環境で育ち、勤しんで来た結果ですから間違ってはいなかった。しかし公務員社会の様に、一部に残る学歴偏重で縁故や紹介が効き、入ってしまえば成り得社会が厳然として存在し、其の影響力が強まっても弱まることは無いことが、全ての日本人に閉塞感を与え、落伍者には絶望感を与えてしまっていることも見逃してはならない。この厚く重たく垂れ込めた役人天国雲を早く取り払い、明るく晴れわたったの空の下では、より広く厚く税金が施策が行き渡り、きっと犯罪者も減るに違いないだろう。

2014年07月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「口はすなわち心の門なり 」

  明の処世法を記した「菜根譚」にある言葉である。「口は禍のもと」からはじまって、「口を慎みなさい」との教えは、子供の頃から十分に聞かされ、教えられて来た筈なのだが、今以て大の大人である分別の有るべき50歳台の、しかも選ばれて議員にもなっている人間達が「失言」は無いだろう。その為に法律を作るべき大事な時間を割いて、処罰騒ぎで空しく時間と労力を費やしてしまうのを見るのは耐えられない。こんな未熟な人間を選んだのも悪いが、判った時点で排除して行く自浄制度をきちんとしておかないと、こんな馬鹿者の為に公費を無駄には出来まい。

  我が身を律する事も出来ない人間が、他人を律するとはおこがましいにも程がある。

  最近の社会は自分の事はもちろんだが、他人のことにも無関心で、自分が自由奔放に暮らしたいので、他人の過ちにも寛容というか、関わらないようにする風潮が助長されて、野放図な社会になってきている。ひと昔なら失言などしたら大恥を掻いて顔向け出来なかった筈なのだ。だから自重して自ずから口が重くなってきたものだ。つまりは無口が尊重され、人格者と思われたくらいであった。が近年テレビなどの影響もあるのだが、軽口冗談の類で他人を笑わせるのが、持て囃されるような風潮がある。失言も冗談も境目が無くなって来て、なんでも笑って済ませなれる環境ならいいが、それが公の場面で公の人間では許されまい。その辺のけじめも付けられない馬鹿者が議員であったり、大臣であったりしては国民が浮かばれない。

  日頃から真剣に事態の解決を考えていたなら、そのような軽率な軽口が出る筈がない。つまりは真剣さが欠如している証拠でもある。十分に自分の立場を理解し負託に応える心構えがあれば、自ずから発する言葉を選ぶ場面である。人間性や人格に問題ありと判った段階で、辞職させねばならない相応しくない下劣な人間共なのだ。そんな意味から、「言葉になって心が出てくる」のである。

2014年06月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「去る者は弊帷の如く、来る者は新衣の如し 」

  中唐の詩人王建の詩である。「過ぎ去るものは破れた古いとばりのようなもので、これから来る未来は新しい衣のようだ」と言う意味だが、しかしその鮮やかな美しさも時の移り変わりにより、古びてしまうのだ。と言っている。
この度の維新の会の分党騒ぎは、少々大人気ない感じがするのが残念である。あの日本の維新を目指して東西の指導者が合流した大目標は、なくなってしまったのか。同じ目的のためには、小異を捨て大同に付いたのではなかったのか。野党再編の核になる筈ではなかったのか。そこに国民の多くが支持し、期待していたのに、両党首とも自論の主張に拘り国民の目や存在をも忘れてはいまいか。核が分裂して小さくなり、お互いに仲間集めに狂奔するようでは、求心力は著しく弱まり、目標は遥かに遠のいてしまうにちがいない。

  橋下氏も一時の輝きが薄れ、自信過剰が仇になり、多少周囲の目を無視しやや暴走気味だし、石原氏は年齢からであろうか、多少頑迷に固執し、許容力に欠ける所がある。とは言えこの両氏の得難い「個性と能力」無しでは維新は成し得ない感じはする。その上、両氏とも俺が俺がと主張したい方なのが又悩ましいところなのだ。この辺りが彼の「坂本竜馬」との人間の大きさの違いでわなかろうか。論語にも「士は以って弘毅ならざるべからず」(道を求める志のある人は、心が広く意思が強固でなければならない)と書いてある。

  だがこの事が、野党再編の波が再燃する切っ掛けになり、国民の目がその事にふたたび呼び戻されるならば思わぬ幸いと言うべきだが。興石とか言う昔の亡霊が、未だに影響力を持っていて、党改革も出来ず、あの状態のまま続いている民主党には何の期待ももてないし、出だしは大変に威勢よく改革を唱えていたが、少々人気が出てきたのを良い事に、自分の懐肥やしに精を出してしまった渡辺代表率いるところの「みんなの党」にも、もう一人の亡霊小沢が影で操る「生活の党」にも、国民はもうこれ等烏合の衆の議員達にはうんざりしているのだ。ところが未だ希望の残っていた「日本維新の会」がこんなことでは、本当の政界再編はいつの事になるのだろうか。今のところ、評判以上にがんばっている安倍さん率いる自民党政治が、上手く行っているかに見える内に次期勢力を育成せねばなるまい。

2014年05月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「オバマとウクライナとTPP」

  世界の最重要人物の一人である「オバマ」が来日した。その一挙一動が世界の動向に影響する人物である。とはいえ最近の米国はかつての強大な力が大分弱まって来て、その影響力も低下してしまってきたことは厳然たる事実である。その事により、冷戦後の世界平和?安定?にも陰りと綻びが生じてき始めた。

  その第一がロシアの台頭であり、中国の傲慢である。とりわけソビエト崩壊にはじまったロシア軽視の屈辱に耐えてきた大国ロシアにとって、石油、天然ガスの高騰により得られた経済力は、プーチン大統領の権力志向にとって、強力な武器と自信となり、失われた栄光の奪還となってしまったのが、クリミア半島に始まったウクライナ問題であろう。

  この問題の解決には欧州アメリカばかりか世界の今後の政治、経済にとって計り知れない影響が出てくるは必定なので、欧米は必死に解決策を探っているが、戦争を避けては決め手が無い。といって戦争に踏み切る決意はどの国にも無い。そこのところをプーチンは見透かしているのだが・・・。このままずるずるとウクライナがロシアの思いのままになってしまうと、さあ大変だ。同様の意図を抱えて虎視眈々と成り行きを見守っている中国、北朝鮮等がいることをわすれてはいけない。無法者の恫喝外交が跋扈し、結局仕舞いには世界大戦への道に突入せざるを得ないのだから。この解決には日本も対岸の火事ではいられまい。

  こんな時にTPPでオバマを悩ませてもいるわけだが、そもそもTPPに参加をするかしないかを決した段階で、メリット、デメリットをひっくるめて参加を決めたのではないのか。都合のいいものだけ取るのはルール違反ではないのか。すべて国内問題ではないのか。アメ車を買わないのは別問題だが、皆がルールを決めたら例外なしで守っていく覚悟と習慣を持たねばなるまい。

2014年04月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「科学技術と便利さと倫理と」

  75年も生きて来ると、さまざまな変遷や事件、災害など覚え切れないほど見聞させられる。それが蓄積となって現在の人格や生活を形成し支えてくれるわけで、感謝しながら便利に生活している。その中でもずば抜けて功績のあったものは、何といってもPCとスマホであろう。それはスピードと利便性で飛躍的に貢献してくれた。全ての生活、開発、生産、管理等がスピードアップされ隔世の感どころではなく、人間の思考スピードさえ狂わされる程である。精巧なカラーコピーは本物との区別が付かないコピーを10秒程で作ってしまい、あらゆる情報はキーボードを叩き終われば即座に現れる。ケイタイは通信システムを一変してしまい、テレフォンカードを持って公衆電話を探し回ったことはつい先日のことのようだが。デジタル技術はフォトの世界を一新し、フイルムもDPEもなくなり、何百枚撮っても写真屋いらずだ。画像でも記事でもデータでも簡単に手に入り、簡単に切り張り、コピペ、し転送まで出来てしまうのである。

  しかし、この度の「STAP細胞」騒動には驚かされた。およそそんなものが通用しない筈の科学技術の世界にその「切り張り」や「コピペ」が入ってきたのだから世界中が惑わされてしまった。あるはずがない手法で書かれた論文に、その道の専門家さえも目晦まされてしまったのだ。そして、彼の「リケジョの星」は「それがいけないことだという意識がなかった」とのたまわった。ここで再び良識ある人々は強烈なカウンターパンチを食らうことになったのだ。なんだこれは。いつの間にか科学の世界にも異文化を持った新人類が紛れ込んで来ていたのだ。この世界には、証明された事実か未知なのかしかない筈だ、事実を実験を繰り返し証明出来たものが論文となり発表されるのが当たり前で、自分で確信が無いものを発表出来る筈が無い。この場合は作為か否かは判らないが、この証明実験を自分が作ったと称する{STAP細胞」を他人に与えて任せていた事がポイントだ。なぜこの最も重要な実験を自分で遣らなかったのだ。自分では証明出来ないことを知っていて、自分の描いている「結果」だけを他人を使って証明させたと考えると、単純ミスのようにコメントしてはいるが、かなりの作為があったと思われても仕方が無い。今後の調査に期待するしかないが、常識に囚われない着想が注目されただけに残念としか言いようが無い。

  確かに研究者の生活は地味で暗く変化に乏しいであろうが、好きで「未知の世界」に挑戦し「夢」と「着想」を解明して行くことに生きがいを感じ、ひたすら黙々と努力出来る人だけが、やがて運よく「栄光」に辿り付ける厳しい世界でもある。そこに表舞台の「華やかさ」を求めてしまうと「焦り」や「功名心」が入り込み、真実追究の道から外れ、人の道までも外してしまう恐れがあるのではなかろうか。人類の為には「STAP細胞」の発想がヒントになり別の発見に繋がって再び日の目を見る日が来る事を願うばかりである。

2014年03月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「平和と危機管理とプロフェショナルと」

  「戦後は遠くなりにけり」とは良く言われることだが、70年も経ってくると、もはや戦後とも言えなくなっている。その間貧しい時もあったが、ひたすら働くことだけに傾注していれば、特に問題もなく、全く平和な時代が続いて来たものだと改めて有難く思う。が最近はその弊害とも思われる症状が、至る所に顕在化して来て社会問題化していることに留意せねばなるまい。無気力、無責任、自殺者の増加、少子化、精神異常者や異常犯罪の増加、身勝手な甘えによる犯罪、等々数え上げればあれもこれもと、一本も二本も箍(たが)が緩んでいるどころか外れている感じさえする。

  なかでも特に問題なのは、「危機意識」の無さから来る「危機管理能力の著しい低下」ではないだろうか。あの原発事故しかり、その後の頻発する汚染水垂れ流し、多発した北海道鉄道事故、その保線管理の出鱈目さ、近い所では川崎の脱線事故等と際限が無い。全てに共通していることは、緊張感の無さであり、危機意識の欠如である。怠慢、マニュアル無視、等およそそれを職業にしている人間とはとても思えない所業である。「職業人の誇り」等はもはや歴史上の遺物でしかないのか。あの安全神話を作り上げてきた「謹厳実直」な日本人は何処に行ってしまったのか。今その神話が崩れてしまっている日本にはもはや「安全」等存在しえないのだ。

  真の「プロフェショナル」はあらゆる現場で高齢化による喪失となり欠如している今、「安全」を確保する特別な「策」を早急にたてて対策しなければ、今当に今後の日本にとって重大な禍根を残すことになるだろう。

国民一同揃って緩んだ「箍」を締め直さねば、原発等とても使える筈もない。「安全」は今や「科学や技術」の問題ではないのだから。

2014年02月26日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「国政と都知事選と」

  今都知事選を目前にして、いつもながら「人選」に苦慮している方が多いことだろう。 特に大きな争点の一つが「原発」になっているからだが、政府は「それは都政の関与することでは ない」と必死に回避を計って、ことさら論点から外したがっている。果たして、そうなのだろうか。それでいいのだろうか。

 
  自民党の大勝で終わった先の選挙の後一年余の経過があり、今後まだ二年間は国政選挙がない今、国政に対する民意を表す絶好の機会でもあり、国民の一割以上が居住し、国政の中心である国会を抱え、全ての国会議員が居住し生活している地域ですから、日本の縮図がここに凝縮されているともいえるので、その資格は十分にあると思われる。しかも安倍総理が原発推進、若しくは維持を表明している今、その「過ち」を指摘できる唯一絶好の場面であろう。

  アベノミクスとオリンピックに掻き消されつつある、あの「福島原発の事故現場」の現状と「日本の将来」とを考える時、この問題を無視するわけには絶対に出来ない筈である。今、安倍総理が判断しなければならない最大の問題がこの事の筈である。彼が本当に原発を維持することが正しいと考えているのか、「必要悪」との解釈なのか、本心は「廃止」なのだが廃止出来ない「環境」にあるのか。いずれにしても、日本の将来を真剣に考慮したら今すぐ「廃止」する判断しかない事は明白な事実なのだ。

  現在事故現場で行われている事実を冷静に客観的に観察すれば、何の解決策も方針もないままに、只単に何かやっている見せ掛けのヂェスチャーで時間稼ぎにお茶を濁しているにすぎないのだ。リアルなニュースや現地報告を見れば、国も東電も本気で復興を考えているとはとても思えない。まさにこれから四、五十年以上に亘って人の住めない土地になってしまって、荒涼殺伐と化した故郷の姿がある。「花は咲く」どころか花も咲かない、咲いても見る人もない、地獄絵そのものである。もはや、この地は見捨てて前向きに行こうと決めたのだ。

  あの地がもっと東京に近かったら、いや東京だったら、日本はどうなっていたか、考えたであろうか。オリンピックどころか日本は半世紀以上の苦しみの末滅亡の一途を辿っていた筈だ。「過ち」 が二度と起こらないとは誰も言えまい。だから、全ての「原発」は地方にしか出来ないのだ。死ぬのが東京都民でなければいいのか。考えたことがあろうか。福島原発の殆どの電気を東京エリアで消費していたのだ。今都民が挙って原発ゼロを決めて国の方針を変えさせる事が故郷を失った福島の方々に対する誠心誠意の謝罪であり、義務ではないのか。医療福祉の向上等は国が、東京が存続さえすれば、必ず誰が知事であつても行うことなのだから。

2014年01月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「帳尻」と「繰越」と

  今年も残すところ十日余りとなってしまって、公私共ども一応の帳尻が気に成り出した頃だ。私の方はどうやら格好が付く見通しが出来て来ていて、ほっと一息ついてはいるが、まだ油断はできない。

  一方、公の方には、いろいろと問題があって、そう簡単には行かないようである。東日本大震災の復興も遅々として進まないばかりか、何と言っても原発災害処理の見通しは全く立っていない。根本的な解決を図ることが不可能な事が判っているので、目先の除洗作業とか冷却水処理などでお茶を濁していて、その間に国民の目を、やれ経済復興だ、オリンピックだ等逸らさせようとしている、完全に目晦まし先送り作戦である。

  大企業が「原発がなければ国際競争に負ける」と言うので、何とか国民を騙して「原発再稼動」 に向けて暗躍し始めている。なるほど大企業に供給される電気は極端に安いので、電力会社は原子力に頼りたくなるのは解かるが、原発を作り上げるまでには莫大な国費の援助があり、稼動すれば出続ける核廃棄物の処理、一旦事故が起きれば、手に負えないので、また莫大な国費で解決するしかない。全て税金で補填された原発電力を安売りさせているのは、大企業から袖の下を貰って肥り返っている「政治家」どもである。しかも蓄積した「大赤字」は「増税」と福祉の切捨てで帳尻を合わせる気である。これでは「庶民」は堪った物ではない。こっちを増やしたらあっちを減らすとか言って、目先を変えるだけの「朝三暮四」作戦ではまさしく国民を「猿」並みに愚弄している話だ。

  野田さんが、命がけで約束させた「行政改革」には全く手を付けず、「丁寧な国会運営をしたい」などと言いながら、絶対多数の与党の天下をいいことに、強気一点張りである。 今迄の国会とは歴然と違って来ている事は事実であるが、必ずしも、国民のために好転したかと言えば、疑問が多いにある。第一には安倍さんの変身である。このところの顔付までが「傲慢」に見えて来たのは、私の僻みであろうか。「アベノミクス」が持て囃されたのをいいことに、言葉の「帳尻」を合わせるのに必死である。

  自民党の政治はやはり「大企業中心」であり、それも確かに必要ではあるが、全て「中小零細企業」や「庶民の細腕」が支えて来た事も事実である。この辺で、「中小企業党」か「庶民党」の実現をも「繰越」の中に入れておきたいものだ。

2013年12月20日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「過ちて改めざる、是を過ちと言う」 「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」

  共に「論語」にある孔子のことばである。「間違いに気がついたら、すぐにあらためなさい。それを改めないことがまちがいなのです。」と言う事でしょう。

  最近「小泉元首相」がさかんに「原発ゼロ」を叫んでいるのが目立っている。彼もまたかつて自民党で「原発建設推進」のはずであった。少なくとも長期政権の中ではそれを言ってきた記憶はない。彼は今それが「過ち」であったことに気がついたからなのだ。私も九月の一言に書いたことだが、「原発」が過ちであったこと、時期尚早であったことは国民の大半がすでに気付いていることだ。

  「核」を完全にコントロール出来る技術が全く未完成の中で、その一部の「反応エネルギー」だけを利用しよう等と考えたこと自体「欺瞞」と言わざるを得ない。およそ半世紀にも亘り、未解決のまま先進国と言われる国々で使われ続けて、廃棄物の遣り場に困って来て、やっと「廃止」を打ち出す国が出てきたのが現状のようです。

「小泉元首相はなぜ変心したのか」との「見出し広告」を見て、又この問題を取り上げることになってしまった。彼は「変心」したわけではないであろう。今「原発事故」が現実となり、その事を真剣に調査研究をした「結果」、「原発事故の怖さ」と「技術の未熟さ」を知らされて、末恐ろしくなり、早急に原発依存から脱出することが、現在取るべき最善の道であると理解したのだと思う。

  にもかかわらず、現政権は尚「経済発展の為には原発は欠かせない」という「盲信」に取り付かれているし、安倍さんに至っては「原発」を輸出の花形として「後進国」に売り込んでさえいる。

  改めて考えなくても、あの原発事故の処理は全く何も解決していないし、今後の見通しも全くゼロに近い現状を無視して、真剣にこの国の政策を考えているとは思えない。ましてや我が国は世界唯一の「被爆国」である。ただ財務省、通産省あたりの官僚に踊らされて、一に経済二に経済では、国民の安全と将来は大丈夫なのだろうか。やたらと「活動」しているかのようだが「大謀」「大智」は「熟慮」の末にあるのではないのだろうか。

2013年11月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ