「人の学ばずして能くする所のものは、その良能なり。慮らずして知る所のものは、其の良知なり。 」

  孟子にある言葉で、幼児が親を愛し、成長すれば年長者を敬うようなことを、自然に理解するのは、人には生まれながらにして、この「良知良能」が備わっているからだ。それが人間のすぐれたところであると言う。ところが最近の日本では、親がすがりつく子共を見殺しにするは、大人が子共を誘拐したり、殺したりする。もはや人間の仕業とは思えない昨今である。この情けない現状に唖然とし、何とか成らないものかと憂いている。昔の日本は貧しくとも人の道はあったように思われる。ところがはるかに豊かになった今、一見末世的な症状に陥っているのはなぜだろう。

  一方「性悪説」というのもある。学ばねば善人にはなれないというものだが、獣でさえ我が子を必死で守るのをみれば、「性善説」の方がなじみ易い。とすれば邪悪な心は後天的なものなのだろうか。

  成長に伴って邪悪なものを知り、邪悪な物を見て、その色に染まっていくのを学問や良識良心が食い止めていると考える方が理解され易い。と考えると、やはり戦後の教育に問題があったと考える方が、早道ではないかと。曰く権利を主張し義務を疎かにしている、それも未だ未成熟の子供の権利が大きくなり過ぎ、大人が指導、矯正しにくくなって来た事は事実です。未熟であればあるほど、邪悪な物に興味を持ち、隠れても求め馴染んでいく。当然これにブレーキを掛ける必要があるのだが。親も学校も周囲の大人もこれ等を放任して見て見ぬ状態であったことも事実だ。一方自由が無かった反省から自由教育が主唱され、個性の尊重、才能の育成が求められ、子供達は緩い縛りの中で自由な育ち方をし、新しい文化を好んで吸収し育ててきた事も事実だ。

  今や日本が国際的文化の発信地になって来たことも確かであり、芸術でも、文化、科学でも日本人の活躍が目立って来ている。喜ばしい限りである。この方々の多くが、いや殆どが戦後の自由な環境で育ち、勤しんで来た結果ですから間違ってはいなかった。しかし公務員社会の様に、一部に残る学歴偏重で縁故や紹介が効き、入ってしまえば成り得社会が厳然として存在し、其の影響力が強まっても弱まることは無いことが、全ての日本人に閉塞感を与え、落伍者には絶望感を与えてしまっていることも見逃してはならない。この厚く重たく垂れ込めた役人天国雲を早く取り払い、明るく晴れわたったの空の下では、より広く厚く税金が施策が行き渡り、きっと犯罪者も減るに違いないだろう。

2014年07月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ