平成24年12月の月例会は19日、忘年会として浅草の貴乃で開催された。 会長の挨拶は 「衆議院選挙は自公の圧勝であった。既に円安・株高と好影響が出ている。景気は企業が元気になって好転する(個人へのばら撒きではない)。自公政権の景気対策に期待する。」であった。
次いで今月のテーマ 「わが社 今年のトピックス」に移り、経営の事・個人の事など会員の関心事を披露した。
01) 高野:ドラスティックな一年だった。最悪の状態は脱した。
02) 大沼:商売を始めて50年。最悪の年だった。
03) 首藤:耳が悪くなり、身障者手帳を持つようになった。
04) 南波:サラリーマンとして一当級上がった。
05) 菅原:今年は黒字であった。年寄りは自民を推すがなぜ?
06) 鈴木:社長を辞め会長になって、毎日が仕事半分になった
07) 高原:一時は廃業を考えたが、自公政権になって期待している。
08) 中野:友人から膵臓ガンの通知、自分の死に様が心配
。
09) 澤根:11月に NetShopが止まったが、直ぐに盛り返した。
10) 佐藤:経済が悪い時には弁護士が忙しい。予防が大事。
11) 神戸:縮小目標を立てたが、縮小し過ぎた。拡大しよう。
12) 高山:自公のニューディール政策に期待。会員を増やそう。
13) 牛込:耐震診断を仕事に加えた。
14) 小笠原:業績が良かった人は努力した人。新製品開発で発展しよう。
この中から牛込さんに会長賞が出て、歓声が上がった。手間の掛かった料理も素晴らしく、満足の例会であった。
平成24年11月の月例会は17日、南花畑の松鈴で開催された。 会長の挨拶 「年末の選挙になった。経済を立て直さなければ日本の将来は暗く、中小事業者は今まで以上に厳しくなる。政局や党ではなく、これを解決できる人を選ぼう。」であった。
次いで今月のテーマ 「会員の関心事や主張を語る」に移った。健康のこと(菅原・高原)、韓国大統領の末路(神戸)、花保商店街の買い物支援(高山)、銀行のシステム障害と責任の取り方(小笠原)、先進医療との関連で生命保険の見直し(南波)、最近のネット販売(澤根)、足立区の犯罪発生率 低減へ(牛込)、ハイブリッド車(吉岡)、足立区から八潮市へ移転(高野)、鳩山元総理へ沖縄の怒り(中野)などなど、美味しい蕎麦会席と酒も手伝って、大いに語った夕べであった。
平成24年10月の月例会は17日、草加の草加健康センターで開催された。生憎の雨、会長さんが風邪で出席できず、また会員の欠席も多かったが、とても和やかな集まりであった。
同センターの温泉は、湯を草津から運んでいるそうで、癒しパワーに納得。 会員もいつも以上に寛いだ様子だった。後半はカラオケで熱唱し満足の例会であった。
平成24年9月の月例会は19日、竹の塚 山形食彩「味香和」で開催された。店主の見川氏は、川柳界では有名な方で、我々会員も一句捻ってみようかという趣向。月例会では初めての試みである。
会長の簡単な挨拶と乾杯の後、山形の美味しい郷土料理をいただきながら、持ち寄った時事川柳やおとぼけ川柳を読み上げてもらった。 見川氏の講評で、秀作一等は、中野さんの 『総裁戦 勝ったとしても そうさせん』 次点は小笠原会長の 『親父乞い 担ぎ出したる 馬鹿息子』であった。 川柳はヒネリと心得ました。皆さんお疲れさまでした。
8月29日、少し遅れた暑気払いに仲間が集まりました。お馴染みの焼き鳥『じんざえもん』で大いに呑み英気を養いました。
平成24年7月の月例会は18日、浅草でスカイツリーを見ながらの食事会であった。
会場は浅草ビューホテル 26階のスカイグリルブッフェ&バー「武蔵」である。(会場名もスカイツリーの高さ634mを連想させるムサシとは凝ってます) 会場の構成上、通常の月例会の体裁はとれず、会長の挨拶もそこそこに銘々が食事となった。この時期、スカイツリー絡みの会場予約が取れにくい状況で、会長のお蔭で窓際から夜景のスカイツリーを楽しんだ。
平成24年4月の例会は18日、開催されれた。冒頭に会長から「景気回復に有効な施策もないまま時間が過ぎている。こんな状況でも会員は元気を出してゆこう。」との挨拶があった。
その後 6月9-10日の研修旅行の検討会に入った。今回のコンセプトは
1)原発の被災地 福島の現状を見る
2)可能な限り安価な旅行にする
の二点である。予め Netで調べた案と大沼さんの案について会員の意見を聞いた。結果 宿が決まりその場で予約をすると、既に満室となっていて改めて予約が必要であった (翌日、中野と神戸が 再度調査し、会津若松の宿を確保した)。 工場見学などを含めて旅程の細部は、旅行委員の吉岡さんに一任することにした。
会場の”はなや”さんは料理の評判が良く、二回連続の開催となった。初めてである。
会の公式行事ではないが、上野のお山に花見に出掛けた。 しかし人出の多さと強風のため、早々に西洋軒に入って窓からの花見になった。