とは「礼記」に有り「学ばない人間はまだ人として足らないものだらけである」と言っている。簡単に言えば「人間になってはいない猿同然だ」と言う事である。
義務教育の時代であるから、学んでない人は殆どいないはずだが、人はどう有るべきかと言う、「人間としての基本」を戦後の教育では教えてはいない。一部の私学や伝統校ではあるかもしれないが、殆どの学校ではただ教科の消化のみで手一杯の状態で、それも修得もしないまま、トコロテンしきに押し出され社会に出てしまう。「礼節や躾」、「善悪の区別」、等人間としての基本は親任せであり、学校のする事ではないと公言しているし、親の方も全く放任主義で育てられた欠陥人間である世代では、そんな事は学校で教えるべき事だと嘯いている始末では、個人とか、個性とか、価値観とかの陰で、これからも猿族人間が増え続け、「猿の惑星」化してしまうに違いない。
最近の若者の引き起こす諸々の社会現象を見聞きする時、「何でそんな事が判断出来ないのか」と驚き呆れる事が多い。アイス クリームのショウケースの中に断りも無く寝そべってみたり、ハンバーガーの生地の上に大の字になってみたり、およそ馬鹿馬鹿しい幼児ですら遣らない事をやって、写真まで得意気に公表する。ある有名人の倅で、さるテレビ局の社員でもある立派な大 人が、路上の酔っ払いから鞄を盗み、カードを抜き取った上、これで現金を引き出そうとして逮捕されている。姑息で、卑劣で 、破廉恥な事件だ。この場合、父親が有名人であり、本人もれっきとしたマスコミの社員である事がニュース価値を上げたもの で、この程度の犯罪は日常茶飯事でありよくある話位のものだ。最近では、ストーカーが、夢に向かって希喜としていた女子高生をいきなり無残にも刺殺した事件等は聞いただけでも残念無念である。これらの事件で問題なのは、一時の衝動だけで、相手 の立場は無論のこと「親の立場」も「自分の立場」もその結果さえもブレーキにはならなかった事だ。その位の理性は社会人と して持っていて当たり前なのだが・・・・。
最近の社会は知識や物質ばかりが氾濫して、全てに「心」が見えてこない、利害損得、享楽、便利さばかりが求められて、「理 念や情念」等人間として大事な事が疎かにされている。何処ででも人々が周囲にも気配りもなくスマホだけを見つめている異様 な風景を目にするが、スマホ等のIT機器を通じインターネットという膨大な空間を介してのコミュニケイションのみが蔓延し、 直接会って会話し議論し合う事が、非常に少なくなっているのは事実である。その為に「暖かさ」はもちろんの事、「意思」の 十分な疎通が図れず、寒々とした会話のない社会が人と人との繋がりを阻害している。私たちは物質の豊かさ便利さばかり求め ているが、「心」の豊かさを取り入れた社会であり家庭であるとは、決して言えない状態であることは否定出来まい。今からで も遅くは無い、「心の豊かさ」を含めた文化度の高い家庭や社会を取り戻す努力をしなければ、動物園の檻の中でいがみ合い、 殺し合い、自滅しながら生涯を終えなければならなくなる気がして来た。