まぶしい程の陽光に新緑が風にそよいで、全く今最高の季節にある日本で、震災で悲嘆の中に暮らしている熊本地方の方々を思う時、風景を愛でたり喜びを口にしたりさえ気が咎める気がしてしまう。こんな時ゴールデンウイークだなんて・・・と例年になく気持ちが晴れずに、連休前からの「風邪」の所為もあり気持ちが塞ぎ込んで「一言」もついつい遅れてしまった事をお詫びとともに災害に遭われた方々には心からのお慰みと早い復興を願わずにはいられない。さて、今日はもう3日だ、そう言えば「憲法記念日」だったな。平和ボケして平和の有難さえ忘れるほどだ。思い起こせば、昭和22年から70年もの間この憲法の基で営々と、まがりなりにも此処まで生き延びて来られた事に感謝である。日本の地理的特殊性、占領国が米国であったこと、日本人の勤勉さ、聡明さ、等々数々の幸運と努力もあったが、この「昭和憲法」の精神が支えになって来たことも事実である。
今この「戦争を放棄」した「平和憲法」を「改正する」の是非を問われ出している。ところが我が国の憲法は96条によって「両議員の各2/3以上で発議し、国民投票の過半数をもってしか改正できない」という強固な楔がある「硬性憲法」であるから簡単には改正できない。しかしながら同じ硬性憲法でもドイツやフランスのように度々改正している国もあり、イギリスのように「軟性」であっても変えない国もある。それは、その国民がそれを求めるか否かでその時の政府が改正を発動するのであろうが、我が国は幸いなことに絶対的必要性がなかったのでここに至ったに過ぎない。ではなぜ今なのか。
もともとマッカーサー草案の貰い物であった事、時代の変化により内容が現実に合わない、アメリカが絶対的な立場になくなった、従って自国の安全は自国で守らねばならなくなった、自衛隊が未だに違憲の対象になっている等、既に国民の間でも大分理解されて来てはいるが、改憲には殊更に異議を言い立てる人達がいて簡単にはいかない。もっと分かり易い議論と懇切な説明で、時間を掛けてでも理解を深めていかねば今の対立状態を解消出来ない。古い現状に合わないものや必要な条項はもっと柔軟に変えるべきだろう。普遍的真理や原理ではなく、元々作られた物なのだから変えてはいけないものではない筈だ。双方とも「国民の為に」を重点にもっと胸襟を開いて話し合うべきではないのか。