見事な迄の選挙戦略で、たちどころにニュースの花形に躍り出た小池都知事だが、豊洲問題はより大きな泥沼と化し、オリパラ競技場見直し問題も、見直し反対包囲網が国際化し、競技団体からも反対が集中して、かなり苦戦を強いられているかのように見える。しかしながら、いつも穏やかな笑顔で落ち着いて泰然自若としている姿には感心する。その上に今月中には一定の方針を出したいと言って前向き姿勢に陰りを見せないことには驚かされている。
豊洲問題では当時の石原都知事をも追求し、その杜撰さを明らかにし謝罪をさせ、責任者として前市場長達を名指しで糾弾し、問題の解決に邁進しつつある。今まで何の責任も問われないままに漫然とその職を汚して来た公務員や政治家たちに、痛快にも冷や水を掛けその姿勢を正そうとしているのだ。この問題では都政がいかに杜撰で無責任でいい加減に行われて来たかが、はっきりと都民に知らされる結果となった。あの猪瀬問題も舛添問題も、こんな環境の中で自然発生して来た象徴であったのだ。
オリパラ競技場見直しではここに来て突然に各競技団体から、打ち合わせたように反対意見が提出されてきたのも意図的で不自然で合理的でない。それは競技者だって観戦者だって小さいより大きい方がいいし、貧弱なよりは立派な方がいいに決まっているが、今コストの見直しをしているのであって競技者が競技場に贅沢を言う段階でも問題でもない。適正な競技場であれば与えられた競技場で平等に競技が競えればいいだけのことである。又影の誰かの意図で小池包囲網を絞り上げる一連の動きかが読み取れて実に不愉快である。
しかし小池さんは動じない。これらをやんわりと受け止めて置いて、着々と前進している姿に多くの国民は理解と賛同を惜しまない。それが小池「政治塾」の開設に4800人もの応募者が殺到したことにも伺える。国民は判り易い良質の政治に渇望していたのだ。税金に貪り付き食い荒らさす政治家と官僚の姿に辟易して来たのだ。今正に小池さんこそ「希望の星」なのだ。未だに馬脚の「ば」も見せず小池流を貫いている姿は本物に違いない。これが日本の政治改革の発端になってくれればと願うのは私ばかりではないことを、この小池旋風が証明してくれている。