「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」

  と論語にある。人と人の調和の仕方で人物の大きさが分かり、その結果に大きな違いが出るというのだ。今度の解散前後の政治家と称する方々の動揺と烏合衆参の様相は、こんな連中に任せていては、本当に日本は立ち直れそうにない疑念がより強くなってしまった。TPP、にしろ原発にしろ、国民のその時の感情に左右された乏しい知識では、国の将来を左右する程の判断を任されても困るのだ。 景気がよくなり税収が上がり、国が富んで豊かになり、医療・福祉が充実し、国民が安全に元気に、その上幸せに暮らせる国に導く事こそが、「国民の付託を受けて選ばれた政治家達が、金と時間に任せてあらゆる専門家からの情報を分析し、全身全霊をかたむけて判断して行なう事ではないのか。」また、その覚悟がなければ政治家を目指す資格が無いのだが、その覚悟があったら、そんなに簡単に賛成・反対、参加・不参加、と言えるのだろうか。「選挙受け」を狙って大衆に迎合し、国民の目線で発言し、烏合 衆参を繰り返している自称「政治家」達では、国は必ず滅んで行くのが当たり前ではないのか。

  ここで「国の繁栄を願う心と、その為には自己犠牲をも厭わない覚悟と、国際社会を意識した国家観」を持った本物の政治家を100人-200人程選んで、小さくても効率的な政府とそれに見合った新統治システムを構築し、行政はコンピューターとシステムマシーンを駆使して省力化し、過剰なサービスは止めて、無駄な無能政治家と、無用で非効率な公務員を大幅削減し(共に現在の1/3で十分であろう)、つまり現在の統治機構の解体と再構築がどうしても必要なのである。今の状態を引き摺っていては、まもなくギリシャ、スペインの二の舞だし、今後二度と国際社会で日の丸が高揚されることはないはずだ。

  この事に警鐘を鳴らしているのが橋下氏であり石原さんなのだ。手遅れ状態ではあるが早急に改革をしなければ絶望状態に陥ってしまうと、時間が無い中でなんとか方向だけでも着手しなければ、改革も何も全くの手遅れなってしまうとの焦りからか、このところ稚拙なミスを重ねては理解者にさえ疑問を生じさせている。野田さんの不意打ち戦法に一本を取られて、いま必死に迎撃体制を整えてはいるが、現体制の制約と慣習に合わせなければ成らず、全てに手薄状態で危うい。一つには移り気な選挙民にどれだけ真意に理解を得られるか、どうアピールすれば理解されるかに苦慮して、やはり身近な消費税、原発、TPPを言わなきゃならない同じ土俵に上がってしまったことに弱みが出た。しかし今一番急がねばならない事は、この国の「統治機構の改革」なのだ。さもなくば、税金ばかりが無駄遣いされて何も進まない日本が取り残されてしまうのだ。選挙民の高度な判断が必要だ。

2012年11月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「その身正しければ、令せずして行なわる」

  孔子のことばで、政治を行なう者の心得として、正しい人間がまつりごとを行なえば、命令等無くても正しい事が行なわれる、ということだ。つまり国民が信じられる政治は、信じられる人によって行われなければならない、ということになる。ところがいったい、今の政治家という方々の中で信頼に足る人はいるのか。とくに民主党政権になってからの「総理大臣」は特に「ひどい」といわざるをえない。「人格者」までは期待しないけれど、「信義」を貫き、言行一致で国民が安心して任せていられる事は最低条件ではないだろうか。安心して任せられる事は代理民主主義の第一条件の筈である。一々腹が立って仕事にも身が入らないような政治家の為に一人あたり2億もの金を負担しているわけにはいかないのだ。挙句の果てに国は亡び三流国となり、国民は大半が節操の無い無責任教育の犠牲となり、思考力は衰え、無気力化して次の時代への期待も持てない状態と相成っては、亡国の政治家といわざるをえまい。

  「ちかいうちに」といって「騙した」とか「騙された」とか間抜けた遣り取りをしてるような政治家を代議士にしたのは誰だ。国民が血税で支えている「国家」の運営を任されている事を忘れてはいないのか。毎日が真剣勝負の民間の中小企業の社長は今、毎日「死ぬ覚悟」で過ごしている事を知らないであろう。知っていれば毎日白刃の下を掻い潜る気持ちで、切羽詰まった遣り取りを実現して貰いたい。政治も「命掛け」の仕事をして、敗れれば「腹を切る覚悟」位の真剣さがあるべきである。

  男「石原慎太郎」がついに「立ち上がった」、国民が密かに恋焦がれていた、貴重な生き残り「侍政治家」だ。「まってました」気合の入った真剣勝負を。この人には「日本人魂」と「信義」を重んじる「武士」を感じる事が出来る、「本物の日本人」だ。この「勇将」の下には「弱卒」は似合わない、心ある政治家が結集して貰いたいものだ。橋下さんは一寸焦って訳の分からない人間まで入れてしまって、やや評価を落としてしまったのが惜しまれるが、若気のそしりも大先輩と組む時には「覇気」として、大いに「力」を発揮するに違いない。「万歳!!」。一緒に「突撃」がしたくなった。お前も生き残りだねぇ。

2012年10月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「非常の人有りて非常の事有り、非常の事有りて非常の功有り」

  「史記」に出てくる言葉である。「非凡な人物がいて、はじめて非凡なことが行われ、非凡な功績が成立する。」というような意味でしょう。つまり非常時には「非凡なる人物」がどうしても必要なのである、凡人共では束になっても何も出来ないのだ。それは歴史を辿れば歴然としている、然るべき時には然るべき人物が現れて歴史を動かし、時代を変えて来ていたのだ。今この「日本国の非常時」に当たって(もっとも非常時だという認識がないのかもしれないが)、自分たちの事しか頭に無い「くだらない愚かな凡人共」ばかりが国の政治を「飯の種」にしているのかが、この時点に行われる二大政党の代表選候補を視れば、よく判り唖然とし暗然とならざるをえない。

  「どんぐりの背比べ」というか、あいつなら俺だってとでも思ってなのか、この機に及んで本物の政治家が見当たらないのは日本にとって大きな不幸である。仮にも「日本の総理大臣」を務めるべき人物の候補なのだが、ご自身で相応しいとでも思っているのかと呆れて言葉もない。与党の民主党でいえば、今では、野田、前原氏以外にはリーダーの資格があるとは認められない。国家的観点からか自身の将来の為か、前原氏が早い時期に「野田支持」を表明したわけだから、無駄な選挙活動などに無駄なエネルギーを使わせず、しばし休養と国家戦略の為の学習に時間を使って貰いたいところだが馬鹿共はそうは考えない。対する自民党はと言うと、今度こそ待ちに待った政権奪回のチャンスなので、他党より一層の力が入るのは当然だが、出揃った面々を見て、一様に「自民党にも全く期待できないな」と総裁選に失望し、自民党の将来性に絶望してしまった。何れものうのうと二世議員の甘い汁を吸って来た「甘ちゃん議員」ばかりで、この厳しい時代に「大日本国」を再生させるだけの経験も思慮もパワーも無く、とても強いリーダーシップを取れる程の人物は一人もいない。

  これが今の日本の姿を象徴していると言ってしまえば簡単だが、それではますます没落の一途でしかない。そこで国民は藁をも掴む思いで、「日本に維新の狼煙上げ、日本を改造する」と息巻いている、「日本維新の会」に期待するしかない状態に追い込まされたのだ。その方々も十分な思慮と経験があるとは見えないが、国を思う情熱が感じられる。あの明治維新の若い志士達の様な純真さが、多少では有るが感じ取れるのが救いだ。「時の氏神」とは上手い言葉だ、もし橋下氏が出てこなかったら、勤勉だけが取り得で、何十年もの間、馬鹿政治屋どもの食い物にされて来た哀れな国民に、夢も希望も救いも無かったに違いない。こうなったら破れかぶれだ、一時の夢でもいい、もう一度騙されて見る気がなければ新しい一歩は踏み出せまい。

2012年09月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「養いて教えざるは、父の過ちなり。教えて厳ならざるは、 師の惰(おこた)りなり」

  三文字で一句をなし簡潔に幼い子供に道理を教育する為の教科書、「三字教」にある基本的な教えである。昨今のニュースの諸々の社会問題を見聞きする時、全ての原因は基本的に此処に起因しているのではないかと思われる。

  つまり、親無し、父無し、師無しが問題なのである。これではまともな子供が育つわけが無いのだ。産まなければ良かったものを産んでしまって、邪魔者扱いをし、子供の養育そのものを放棄する親。放棄どころか「しつけ」も知らない親が[躾」と称して虐待死させるに至っては、何をかいわんやである。基本的に親になる意志も喜びも無いままに、無防備に欲望のままに行った野放図な性行為の結果であるから、もともと親になる覚悟も責任感もあるはずが無いのだ。身体だけが成長してしまったガキが、セックスを楽しんだツケが回って来た位にしか考えていないのだが、この問題は又にして、もう一つ問題なのは養育の過程で父親がいない、父親の顔が見えない昨今の社会に問題があると思うのだ。

  私たちの昭和の初期までは日常の躾(しつけ)は母親が行い、何かの折に躾が出来ていないと、父親が母親を「お前の躾が悪い」と怒鳴りつけて怒ったものだった。子供は母親が怒鳴られるのが嫌なので、父親の前では健気にも一生懸命行儀良く努めたものだった。その位に父親の存在は絶大で絶対であった。子供はこの怖い父親に直接怒られたりしたら大変だとばかりに、母親の言う事を良く聞いたものだった。

  親父とは「雷偏(へん)に拳骨(げんこつ)と書く」と言われ、「地震、雷、火事、親父」と四大脅威の一つであったのが今は懐かしい。その親父が「友達、兄弟」同様に位(くらい)が下がり、次第に「同居人」となり、やがて「侮蔑の対象」にまで成り下がってしまった。そこにはもはや全く「威厳」や「尊厳」は存在し得ないのである。これら「駄目親」や「駄目親父」に養育され、「人間」としての躾もされないし自覚も無い「新人類」が「教師」になったから堪らない、今の惨憺たる現状と相成った。教師がこの状態なのに親は自分達も「躾」などは一切せず、というより躾など全くされていないので解らず、学校に全てを負かして責任放棄し、その責を問われると「そんな事は学校がやることだ」と嘯いている始末だ。

  かくて家庭からも学校からも放置された子供たちが[新人類」以上の「新々人類」として育ってきたのも当然である。その上悪い事に仲間や集団で遊ぶ事が少なく、たとえ遊んでも全く同じ「駄目人間」同士では、より悪くなっても良い影響は受けられない。引きこもり孤立し、刺激の強烈なPCゲーム等にのめり込み、バーチャルと現実の区別が付かなくなり、思考が停止した「夢想人間ロボット」化した[大変危険な生き物」となり、もはや[人間」の「枠」から落こぼれ[仮想の世界に生き操られる動物」化しつつあるのだ。その上尚悪い事にこの「危険動物達」に[人権」と[生活保障」を与えている事が症状を一層助長し、「社会悪」と[社会負担」の増加という「負のダブルスパイラル」の[渦」に巻き込まれて急速に悪化の一途を転げ落ちている。この状況を早く食い止め少しでも好転させねばならない事が急務である。

  ばらまき的な甘い、怠け者には特に甘い社会構造を改め、なんら建設的社会活動のない人間には厳しく対処し、自覚を促し、教育現場はもちろん社会全体としての教育力を高めていかねばなるまい。日本は没落の寸前まで来てしまっている事を国民全体で反省する必要がある。

2012年07月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「過ちを知るは難きに非ず、過ちを改むるを難しと為す」

  とは唐の徳宗の時の名臣陸贄(りくし)の言葉である。今の政治のごたごたの原因は全て「過ち」に起因しているのだから、これを改めなければ解決しないのではないか。

  先ず第一に民主党の成り立ちが過ちである。主義主張ばかりか価値観も国家観も人生観さえもまったく違う烏合の衆がただ数合わせの為に一つの「政党名」を名乗った事である。

第二にこの何の国家観ももたない卑しい「群集」が、出来もしない出鱈目放題のばら撒きマニフェストを作って浮かれていた事。

  第三に腐った鯛に辟易していた国民が、一見勢い良く泳ぎ回る「珍種くらげ」に手を出してしまった事だ。これが箸にも棒にもかからず、何の役にもたたない「異常発生物体」であったのだが、後の祭りである。

  ところがこの「廃棄物」の中から「どじょう」が出て来て、どっこい俺は遣るよと言ったのはいいが、何を思ったか手順を間違えて、先ず遣らなければならない「議員定数削減」や「行政改革」をさておいて、最終手段であるべき「増税」に命を賭けてしまった、のが第四の過ちである。「身内」を削るより国民に負担させるほうが簡単だと判断したのだろうか。

  この単純な間違いの為に「あの偽善者」に口実を与えてしまったのだ。タイトルの後段に「善を言うは難きに非ず、善を行うを難しと為す」とあるのだが、「詐欺師」はもともと実行する気がないから、甘い事ばかりをいとも簡単に羅列して騙すのである。こうなったら第一の過ちから正す方が早いのではないか。目的は間違ってはいないのだから、「強行」して分裂させる以外良案はない、このままずるずる行ったら、「元の木阿弥」である。衆議院480人衆参合わせて722人もいて、何も前進しない議会など即刻解散して国民の審判を受けるべきである。国民もこの体たらくには呆れ果てているから、今度は少しはましな議員達を選ぶにちがいない。

  余談では有るが、くだんの「偽善者」の内部告発ともいうべき、奥さんの離縁報告状が世間を賑わせている。内容は今までの言動から推察される通りの蔑まれるべき人物像である。自分の女房にさえ軽蔑されるような下らない人間に、日本中が振り回されている現状から、一秒でも早く脱却しなければならないのが「焦眉の急」である。「軽蔑」は「愛憎」とは全く異質のもので人格を認めていないのである。

  どんな事があっても女房にだけは「理解者」であって欲しいものである。またそういう「生き方」を努めて行きたいと思うのが常識人ではないのか。

2012年06月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「衣食足りて礼節を知る」

  とは「倉廩(穀物の倉庫)実つれば礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」を解り易く省略したもので、「管仲」が書いたといわれる「管子」に有る言葉である。

  終戦後の貧困を味わった我々の年代には、辛い厳しい経験と共に、懐かしくもあり切なくもある言葉である。戦後六十余年、今や「飽食」どころか「過食」の弊害を注意される時代であり、衣服は中国製や東南アジアの製品があふれて一頃の十分の一程で手に入るものだから、簡単に買い換えて捨ててしまう生活になれ、有り余る豊かさの中で、今度はせっかく知った「礼節」も「誇り」も「恥辱」さえ捨てて、忘れ去ってしまったようだ。

  今騒がれている、「生活保護費」不正受給の件である。この件は巷間では何十年も前から話題になってはいたが、全くそのまま放置され、助長されかなり大きな深刻な問題になって、やっと政治的に問題視されたものだ。その費用額は驚く事に3兆7000億円以上とかいわれる。 広い社会には様々な理由によって、働けずに収入が無く衣食にも事欠く人達もいて、中にはこの飽食の時代に餓死する人すらいるという。このような真の弱者に社会の恩恵があることは、私たちにとっても心の救いになっている事も事実である。ところが現在の209万人以上といわれる受給者の多くは、弱者を装って働かずに怠けていたり、働いたことを隠して申告しなかったりして不正に受給し、この国民の税金をパチンコ賭博に使ったり、飲酒遊興に使ったり、とにかく目的外の使われ方をしている事実がありながら、何十年もの間改善を図ろうともせずに放置し、税金を浪費し続けて来た責任は、同じ「税金浪費族」の一部の政治家と役人達である。

  「ある政党」はこの制度の悪用を売り物にしているともいわれてさえいるのだが。このように国の「生血」をむさぼる「蛭(ひる=生血を吸って生きる小動物)」のような人間達を減らさなければ、国は貧血を起こし倒れるしかないのである。まさに合法化を装った寄生虫(パラサイト)のような種族である。あの「ギリシャ」も観光以外には大きな産業もない上に公務員が7、8割に達すると言われている。それが近隣国に迷惑を掛けていてさえ身を切る改革に反対しているとは、どこかの国も良く似た道を歩んでいるように想われるのだが。

  皆が貧しい時代には皆で助け合う事が当たり前のように行われたので、人の物を盗ったり、騙したり、嘘をついたり、人に迷惑をかけたりすることは厳に慎まねば成らなかった。またそんな人間は人間としての尊厳を捨てた蔑むべき人間と看做されたので、みんなが人の目を気にして、蔑まれないように、恥ずかしくないように生きて来たものであった。まして公金横領のような事は卑しむべき犯罪に近いものだから厳に慎まねばならなかった。「栄辱」とは「栄誉と恥辱」のことである。共に心の問題であり、あの知的で慎ましく誇り高い「日本人」は何処に行ってしまったのか。これも又戦後教育の欠陥の表われではないだろうか。

2012年05月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「刑の煩わしきは、なお水の濁れるが如し」

  とは中唐の詩人「白居易」の言葉である。また「刑罰は、乱を治むるの薬石なり」と「後漢書」にも書いてある。つまり刑罰は世の中の乱れを正す「薬」であるから、余り解り難く煩雑だと、世の中の乱れを誘い、濁った水の中にいるようで、息苦しくて生きて行けなくなってしまう。ということである。

「被疑者小沢」の無罪判決は、当に世の秩序を乱し、法治国家を冒涜し、国家を危うくする「亡国の判決」と言わざるを得ない。無理に無罪にする為に訳の解らない理屈をこじつけた結果で、こんな解釈が出来るなら有罪者は現行犯逮捕しか無くなってしまう。

  いわく「違法性を十分認識していたか不明である」と言う。だから知らぬ存じぬの一点張りで「無罪」になれる訳で、裁判官自身が「法」を骨抜きにし、免れる方法を探っては「無罪」にしていては、法律なんて「糞食らえ」とばかりに「悪党」がのさばる事になるのである。

  国民の7、8割が「有罪」と思っているし、そうなる事が常識的で当然と思っていたものが、「無罪」の判決に唖然として「こりゃ、日本はますます駄目になる」と脱力感を感じたのは私ばかりではない筈だ。彼は言った「裁判官の良識に敬意を表する」と。彼自身が一番「有罪」なのを知っているのに。「仰ぎて天に恥じず、伏して人に恥じず」と人の上に立つ人はかくあるべし、と「孟子」は申しました。

  「書経」に「刑は、刑無きを期す」とある。刑罰を科すことにより「悪事を働く人間が減り」次第に刑罰がいらなくなる事を目的にしているのだと言う。正に逆効果である。たしか「彼」は日大の法学科に学んだ事が有った筈で一体何を学んだのだろうか、法の抜け道だけを学んだに違いない。

  それにしても、この「小沢先生」を崇拝して徒党を組んで取り巻いている「先生方」は一体何なのだろう。「無罪判決」に涙を流し、祝賀会をもようしたそうだが、こんな人達に政治をまかせておいていいのでしょうか、どんどん悪くなっていく「日本」が、やがて崩壊して行く姿が現実になって来た。

2012年04月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「烏集の交わりは善しといえども親しまず」

  「管子」にある言葉で、烏(う・・・からす)の集まりは最初はうまくいっているようだが、その内にののしり合ってばらばらになってしまう。つまり偽りばかりが多くて誠意のない交わりを言う。そんな統一も規律もない連中を「東観漢記」によれば「烏合の衆」という。民主党の連中を見ていると当に然りである。自らその醜さを恥る様子も見えないのは観てる側からすると耐えられない程なのだが。彼らとて国会議員に名乗り出るにはそれなりの覚悟があった筈であるが、いや最初から無かったのかも知れないが、この国をこの国民を少しでも豊かにし平穏に安泰に暮らさせる事を望んでその職に付いた筈ではなかったのか。ところが余りにもの高報酬と不必要なまでの好待遇にこの国がもはや倒産していて世界一の借金国である事を、全く理解出来ていないらしい、いや理解しないようにしているのかもしれない。

  今回の消費税騒動も「先ず魁より始めよ」で議員定数半減、歳費半減(削減などと言って10人20人減らしても効果は無い)、公務員制度改革と大幅削減を断行してから国民に課税案をお願いすれば、一も二もなく解決し、一挙に将来への展望が開け、若者に活気が湧き、経済は好転し、世界の評価は一挙に上がり、かつての「ジャパン アズ ナンバーワン」が復活するに違いないのだ。先ず政治家が身を切ることから始まるのであるが、この事には全く手を付けたくない「税金泥棒烏」共が「ガーガー」聞きたくも無い声で鳴きわめいていれば仕事をしている気になってるのかもしれない。今や駆除されずに、はびこってきた「害虫共」に食い荒らされ、かろうじて「芯」だけが寒々と残っている野菜畑のようである。

  今、希望就職先の2番目が公務員だそうである、こんな国が経済大国になれるわけがない。公務員がのさばってきたら、それはまさにギリシャの二の舞である。あの高度成長期には公務員など夢の無い人間しか希望しなかった筈だ。枯葉ばかりで根っ子まで枯れてしまって、もはや土が生物を育てられなくなってしまい、荒れ果てた荒野に寒々とただ風だけが吹きすさんでいる光景が目に浮かんでくる。
あーいやだ、こんな国いやだ。

2012年03月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「良将は死におびえて以っていやしくも免れず」

  「三国志」にある言葉で「優れたリーダーはおのれの死を恐れて一時しのぎで生き長らえようとはしない」と言っている。自ら命を懸けなければ勝てないのだ。特に才能に恵まれたわけでもない平凡な男が、松下政経塾のお陰で政治家に成れ、時の流れの中で運良く一国の総理大臣にまで成れた、こんな幸運は二度とない。ここで命懸けで遣らねば悔いを残すであろうと思われるが、野田さん何をどうやろうとしているのかさっぱり見えてこない。大事な事は人任せでちっとも顔も声も出てこず存在すら疑わしい程である。この人にリーダーとしての能力や気力があるとは思えなくなってきた。

  何でこんなにも何代にも亘って何も出来ない総理大臣が出てくるのか不思議でならない。人間命懸けなら何でも出来る、こんな遣り甲斐の有る立場は他には無い筈だが。事ここに至って「てめーら観ちゃいられねー」とばかりに「俺が遣る」と名乗り出たのが現代の豪傑「橋下徹」であった。今や日本一の有名人であり、日本で一番期待されている「英雄」である。もはや彼の発言と実行力には既成の政治家では太刀打ちできない。矢継ぎ早に次々と方針を発信し、ついに「船中八策」ときた。完全に現代の「坂本竜馬」に成る気であることは間違いない。日本の将来を考えれば、今「竜馬の改革」がなければ日本は亡び、将来はないところに追い詰められて来ていたのだ。この「時の氏神様」を「喝采」で迎えないわけには行かない筈なのだが、「どうも言動が乱暴すぎる」とか「裏が見えてこない」とか「目的は何なのだか見えない」とか「強者の論理で弱者をみてない」・・・・・・・等といろいろ批判をする者も大勢いる事も事実である。

  がこれは自分では何も出来ないが、批判や論評だけはしたがる「知識人」なる人間が多すぎて、こんな日本に為ってしまったことに反省がない。かかる段階にまで追い込まれた日本を立ち直らせるには投薬や綺麗事では間に合わない、もはや外科的大手術をしなければ命はない。乱暴もへったくれもないのだ。この国を蝕んでいる「癌」を根絶させるか、死ぬかなのであるから。橋下さんお願いします、「大手術」を敢行してください。

2012年02月21日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「至治の国、君は撥の如く、臣は鼓の如し」

  良く治まっている国では、君主が撥(ばち)を打てば、臣下はこれに呼応して太鼓が鳴るように一勢に実行する」とは「韓非子」にある言葉だが、また「右手に円を画き、左手に方を画くは、両つながら成す能ず」(右手で円を画き、左手で四角を描こうとしても両方とも上手くいかない)とも言っている。

  現代は王朝時代や君主制ではないから、そうは簡単にはいかないのが当たり前だが、議会制民主主義では全てが対立の中で多数派工作をして、上手くいかなければ又調整をしての繰返しをしている内に期限切れとなって廃案となる。これの繰り返しをして何も決まらず、何も進まないのが政治の世界では当たり前になってしまっている。その間政治家はべらぼうに高い歳費を貰い、ボーナスまでも貰って、その上政党助成金までついてきてウハウハ遊んでいられるわけだから「三日やったら止められネー」わけだ。選挙では選んで貰わないと、この「美味い話」もなくなってしまうので、大衆迎合のバラマキだけは怠らない。国民も理性的に判断する人々よりも、貰うほうがいいに決まってると安直に考える民衆のほうが多いと考えるので、かくて安直な「ポピュリズム政治」が横行し、国中の蟻が群がって食い潰しているのでは堪らない、今世界中の民主主義国家が債務超過に陥っている。民主主義の危機である。今この不完全民主主義をどう修正すべきか問われているのだ。

  地方政治は首長は全て選挙で選ばれているので、一応主導出来る体制ではあるが議会の承認を得なければならないので、やはり多数派工作が必要では有る。それを大衆を味方にして、やって見せたのが石原知事と橋下知事であった。国民も馬鹿ばかりではない、きちんと筋道をたてて正論を説けば七割の国民は理解する筈である。その手間は省いてはいけない。それが民主主義なのだから。野田総理に欠けているところは、テレビを使って国民に直に訴えていかないところであろう。そこは小泉さんを見習ってもらいたい。 「人心掌握力」もリーダーの必須条件の一つである。

2012年01月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ