「もの作りの継承」

  日本は伝統的にもの作り国家であった。

  が、近年その伝統は失われたばかりか、技術の継承もなされないままに消滅してしまう事が問題化されている。しかし最早気付くのが遅過ぎた感がある。世の中が経済発展のみに傾注する中で、忘れられ捨てられてきた今、問題が顕在化して弊害に驚いてからでは、枯れ木に施肥をするかの如しである。

  伝統技術とは、時間の積み重ねの中で育ってきたものであるから、一朝一夕の空念仏だけで俄かに蘇えるものではない。 先ずは、世の中に「金や富」よりも大切にしなければならない技術や芸術があることを子供の頃から理解させ、尊ぶ心を育てていかなくてはなるまい。

2007年11月30日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「混迷政治からの脱却は何時なのか」

  私たち零細企業家の悩みとしては、上を向き過ぎていると考えがちであるが、全く訳の判らない政治家の行状に翻弄されて何も進まない現実である。

  そればかりか、箍が外れ人間性さえ失ってしまっている公僕と呼ばれる人達の、正に掴み取りさながらの公費乱用の実態を毎日聞かされ続ける中で、喘ぎ苦しみながらも必死に家業に取り組んでいる我が身を顧みる時、怒りのやり場の無いむなしさに襲われるのは私ばかりではない筈だ。

  こんな事では日本は駄目になる、いや確実に駄目になっている。内外共にである。今直ぐに、この国の根幹を早急に立て直さなればならないのだが、毎日、面白可笑しい他人事のように報じられ、ただ三面記事としての興味位で過ごしているのは何故だ。心して考えねばなるまい。

2007年10月30日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「総理大臣の資質ってなんだろう」

  小泉さんの時代が去って、安倍さん、成り立ての福田さんと見せられると、改めて彼の人の強烈な個性と才能に思い至る。その稀有な存在に今更ながら認識を新たにし、畏敬の念が沸々と沸き立つのを覚えるのは私だけではないでしょう。

  小泉の前に人なく、小泉の後に人なし、って感じだ。今度の「安倍の乱」の後「小泉さんをもう一度」と願ったのは、チルドレンだけではなかったはずだ。さすがに「奇人変人」と呼ばれるだけに並みの人間には理解できないほどのものがあった。

  一方、安倍さんはアイドル的人気だけでタイミングよくなってしまったわけで、とりわけあの甘いマスク以外に秀でたものがあったとも思えない。あの放り出し方はまさにその幼稚性の表れか、戦後良家育ちの脆弱性を見事に知らしめた一幕であった。 福田さんは成り立てで面白くもおかしくもない以上は何も判らないから、お手並み拝見となる。面白いことにこの三人ともが揃って「世襲議員」なのだから驚く。では、いったい何が違うのかは長くなるのでまた次回にしたい。

2007年09月30日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「群衆政治と選挙制度」

  現在のところ絶対的に正義だと思われている民主主義政治を実行するためには、全ての民衆が政治に関わることが不可能である以上、何らの選挙を経た代表による間接的民主政治に依らなければならないのだろう。

  ここで大事なことは、一票を投ずる民衆の意識と責任感ではないか。自分の命も家族の安全も全財産も何を食べ何を着て何処に住むかまで全てが、この一票に関わってくる怖さを忘れていないのだろうか。

  これが解らないのは、アルツハイマーだと言って叱られた政治家がいたが、実際その恐ろしさを感じないとしたら、もはや心を持たない物体と化したとしか言いようがない。まさに衆愚政治としての欠陥を露呈し始めてから久しいが、死ななきゃ解らないというのも、事実ではないだろうか。

2007年07月30日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「少子化時代を考える」

  およそ雄雌の性別のある生物は、健全な子孫が自然と増えて、種族が繁栄するように創造の神が御創りになった筈なのだ。ところが、それが自然にいかない時代になってしまったらしい。その最大の原因が、豊かさと高文化ではないのかと考えると、問題はかなり深刻である。より高い文化生活を望むほど、種族滅亡の道を辿る事になるのだ。このことは歴史的にも判っている事なのだが歴史は繰り返すのだ。そして今日本はその道を辿り始めてしまっているわけだ。

  少子化の問題は現実的に人口が減少ことと、子孫の質的劣化による種族の危機をまねくことではないのか。このことが問題視されてからも久しい、気付いてから手をこまねいてばかりでは能がなさ過ぎるわけだが、依然として減少傾向に改善がないばかりかより加速されている感があるのは、もはや末期的症状によるのかもしれない。この重大さ深刻さを口にはするが理解されてないのか、理解はすれど実行しようとしないのか何れかだが、愚かさに他ならない。人づくりは100年の大計である、もはや遅きに失している。

  国家の大計は人づくりの他に何があるというのか。高学歴、高額所得者ほど子供を欲しがらない、いや出来ないと言ったほうがいいのかもしれない現状を考えると、学問とは、経済的発展とは一体何なのか、良く考えてみたいものだ。今日も政治は金の問題で明け暮れている、人間は結局、猿に勝る事が出来ないのか。やんぬるかな。

2007年05月23日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ

「公私不明?時代か」

  一昔前までは「公私の区別」とか「公私混同」とか言って、とりあえず「公私」は確実に存在していたし、これを弁えない人間は、社会人としてもまた常識人としても通用しない、不合格人間として扱われたものでした。しかし、昨今は、あまり目にしなくなってしまったし、死語とまではいかないが、これを口にすると、何か途轍もなく古い人間のようなイメージになってしまうようだ。

  長崎市長の銃による殺傷事件は耳新しいものだが、犯人の言い分には驚いた。自分の不利益が続いたのに腹を立てて、また自分の目論見が否定され不成功に終わった事で、市長は市民にとって不適切な人間であり、公職を私する不当な存在であると断じ、社会正義の為には存在を許さないというような事を言い立てて、蛮行を行ってしまった、何をか言わんや、である。

  「公」の前には「私」は出せないし、一歩も二歩も控えねばならないのが、通念だと思っていた私はびっくりしてしまった、一体あの美徳の日本は何処へ行ったのだろうか、やはり過去になってしまったのか。

2007年04月25日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ