今年もまた、庭の梅の木がほころび初めて、春の来たるを告げてくれた。歳を重ねるほどに、その楚々とした清廉な美しさに胸を打たれる思いがする。平和だからこんな感慨に耽ることが出来るんだとふっと思ったら、あの戦時中の混乱と苦しみ、飢えと窮乏の時代を思い出してしまった。今も現実に、その地獄の渦中に呻き苦しんでいる人たちがいることに思い至り、途端に暗然たる思いになってしまった。あのシリアでは、もう7年もの間殺戮が続き170万とも云われる死傷者と2500万人を超える難民が国を追われ命がけの放浪を続けていることを思うと、花を愛でる気持ちが罪悪感に変わってしまった。
なぜ人は平和に暮らせないのか、争いさえ起こさなければ、貧しくともそれなりの生活の中に、幸せを見つけるはずである。争いさえなければ、例え病気になっても飢えていても、生き永らえるすべがある。砲弾で吹き飛ばされ、手足をもがれ、途端に命を奪われることはない。だから人々が争いを好むはずがない。それは自分は安全な場所に居ながら、人民を使い争いを扇動し、武器を与え殺し合いを強要する、一握りの悪魔の手下がいるからだ。そんな輩だから大した人物はいないが、偶然か弾みか策略かで一端「権力」を手に入れるや、その心地よさに酔いしれて、これを失わん為には人民の痛み苦しみなんぞ考えもせず、これを守る為なら争いも厭わない。どうせ自分には及ばないと思っているからだ。
いま世界にはこんな「悪党」が何人かいて、人民を地獄の苦しみに落としている。お前達さえいなければ、こんなすばらしい地球上に地獄なんて無かったのだ。いまや世界のあちこちで軍拡が声高に叫ばれ始めだしている、軍備費の増大、新型兵器開発競争、権力の拡大・・・・危ない。人は愚かにも歴史を繰り返すが繰り返させてはいけない。何より大事なのは人の命と尊厳なのだから。