「お金に弱い “良心” 」

  人が行動を起こす動機は夢や理想だったり、他人からの依頼であったり、仕事上の必要性からだったり、上司 からの命令だったり、生活の困窮だったりと千差万別である。しかし行動を続ける中で次第に重要性を増してくるのが、「お金」の問題と「名誉欲」ではないだろうか。この辺りから人は知らず知らずのうちに良心よりその欲望に心を左右され始めるのだ。
特に最近の物質社会の中では「お金持ち」が「成功者」のように評価される傾向があるので尚更である。最近話題だった小保方理研事件、VW社のヂーゼル不正事件、旭化成建材の基礎工事不正等々次々にボロが発覚してくると、この社会現象化は全てに同じような原因があるように思えてきた。

それは効率至上主義、経済至上主義、の中で「良心」が失われ、「結果への配慮」より目先の「成果」に貪欲になってしまったとしか考えられない。その結果「見え難いところ」や「判明し難いところ」で手抜きを行ってしまう。

  目先の「成果」はすぐに名声となり評価が上がり、待遇に直結し、また学会でも認められれば名誉と共に補助金や奨励金が付いてくる。研究者にとって、企業にとってもこの援助金ほど有難いものはないので、その為なら多少の不正には目を瞑ってしまう事になる。「真実の解明」や「高度な技術」の助成、育成の為のものが「不正」をも育成してしまっているのだ。そこにはもはや良心もプライドも存在し得ないのだ。その上にコンピューターとデジタル化した高度な事務機の発展が、複雑なコピーや偽装をも簡単に行える環境があれば、データの偽造なぞ朝飯前である。もしもこれらの機器がなければ、非常な手間と時間を要するから、その間にブレーキもかかり反省も出来たかもしれないのだが。データの付いた書類が揃ってさせいれば偽造や偽装など簡単にはバレないものなのだろう。それが引くに引けない程の段階に迄経過してからバレるから、個人にとっても企業にとっても、いや社会にとっても最悪の問題となってしまう。その間に内部告発でもあれば救われるが、それも無かった事は残念だが、その環境や組織にもかなりの問題があるはずである。

  ではこれらは防ぎ得たのであろうか。残念ながら現在の全ての生活環境と教育の有り方、社会の価値観の有り方等を総合的に変えていかない限り、益々増え続き、やがて社会が崩壊するまでは防ぎ得ないであろう。あの「お金」より「誇り」を重んじる昔の武士の生き方に学ばねばならないかもしれない。「誇り」や「真の名誉」の為に「命」さえ掛けた生き様にこそ一生の価値を見い出したい。多少の不正をしてでも出世をした方が「勝ち」の感覚の中では、「良心」などは全くの無用の長物でしかないのだ。しかしそんな「良心」が少なからず残っている日本をもっと大事にして行きたいね。

2015年10月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ