75年も生きて来ると、さまざまな変遷や事件、災害など覚え切れないほど見聞させられる。それが蓄積となって現在の人格や生活を形成し支えてくれるわけで、感謝しながら便利に生活している。その中でもずば抜けて功績のあったものは、何といってもPCとスマホであろう。それはスピードと利便性で飛躍的に貢献してくれた。全ての生活、開発、生産、管理等がスピードアップされ隔世の感どころではなく、人間の思考スピードさえ狂わされる程である。精巧なカラーコピーは本物との区別が付かないコピーを10秒程で作ってしまい、あらゆる情報はキーボードを叩き終われば即座に現れる。ケイタイは通信システムを一変してしまい、テレフォンカードを持って公衆電話を探し回ったことはつい先日のことのようだが。デジタル技術はフォトの世界を一新し、フイルムもDPEもなくなり、何百枚撮っても写真屋いらずだ。画像でも記事でもデータでも簡単に手に入り、簡単に切り張り、コピペ、し転送まで出来てしまうのである。
しかし、この度の「STAP細胞」騒動には驚かされた。およそそんなものが通用しない筈の科学技術の世界にその「切り張り」や「コピペ」が入ってきたのだから世界中が惑わされてしまった。あるはずがない手法で書かれた論文に、その道の専門家さえも目晦まされてしまったのだ。そして、彼の「リケジョの星」は「それがいけないことだという意識がなかった」とのたまわった。ここで再び良識ある人々は強烈なカウンターパンチを食らうことになったのだ。なんだこれは。いつの間にか科学の世界にも異文化を持った新人類が紛れ込んで来ていたのだ。この世界には、証明された事実か未知なのかしかない筈だ、事実を実験を繰り返し証明出来たものが論文となり発表されるのが当たり前で、自分で確信が無いものを発表出来る筈が無い。この場合は作為か否かは判らないが、この証明実験を自分が作ったと称する{STAP細胞」を他人に与えて任せていた事がポイントだ。なぜこの最も重要な実験を自分で遣らなかったのだ。自分では証明出来ないことを知っていて、自分の描いている「結果」だけを他人を使って証明させたと考えると、単純ミスのようにコメントしてはいるが、かなりの作為があったと思われても仕方が無い。今後の調査に期待するしかないが、常識に囚われない着想が注目されただけに残念としか言いようが無い。
確かに研究者の生活は地味で暗く変化に乏しいであろうが、好きで「未知の世界」に挑戦し「夢」と「着想」を解明して行くことに生きがいを感じ、ひたすら黙々と努力出来る人だけが、やがて運よく「栄光」に辿り付ける厳しい世界でもある。そこに表舞台の「華やかさ」を求めてしまうと「焦り」や「功名心」が入り込み、真実追究の道から外れ、人の道までも外してしまう恐れがあるのではなかろうか。人類の為には「STAP細胞」の発想がヒントになり別の発見に繋がって再び日の目を見る日が来る事を願うばかりである。