今都知事選を目前にして、いつもながら「人選」に苦慮している方が多いことだろう。 特に大きな争点の一つが「原発」になっているからだが、政府は「それは都政の関与することでは ない」と必死に回避を計って、ことさら論点から外したがっている。果たして、そうなのだろうか。それでいいのだろうか。
自民党の大勝で終わった先の選挙の後一年余の経過があり、今後まだ二年間は国政選挙がない今、国政に対する民意を表す絶好の機会でもあり、国民の一割以上が居住し、国政の中心である国会を抱え、全ての国会議員が居住し生活している地域ですから、日本の縮図がここに凝縮されているともいえるので、その資格は十分にあると思われる。しかも安倍総理が原発推進、若しくは維持を表明している今、その「過ち」を指摘できる唯一絶好の場面であろう。
アベノミクスとオリンピックに掻き消されつつある、あの「福島原発の事故現場」の現状と「日本の将来」とを考える時、この問題を無視するわけには絶対に出来ない筈である。今、安倍総理が判断しなければならない最大の問題がこの事の筈である。彼が本当に原発を維持することが正しいと考えているのか、「必要悪」との解釈なのか、本心は「廃止」なのだが廃止出来ない「環境」にあるのか。いずれにしても、日本の将来を真剣に考慮したら今すぐ「廃止」する判断しかない事は明白な事実なのだ。
現在事故現場で行われている事実を冷静に客観的に観察すれば、何の解決策も方針もないままに、只単に何かやっている見せ掛けのヂェスチャーで時間稼ぎにお茶を濁しているにすぎないのだ。リアルなニュースや現地報告を見れば、国も東電も本気で復興を考えているとはとても思えない。まさにこれから四、五十年以上に亘って人の住めない土地になってしまって、荒涼殺伐と化した故郷の姿がある。「花は咲く」どころか花も咲かない、咲いても見る人もない、地獄絵そのものである。もはや、この地は見捨てて前向きに行こうと決めたのだ。
あの地がもっと東京に近かったら、いや東京だったら、日本はどうなっていたか、考えたであろうか。オリンピックどころか日本は半世紀以上の苦しみの末滅亡の一途を辿っていた筈だ。「過ち」 が二度と起こらないとは誰も言えまい。だから、全ての「原発」は地方にしか出来ないのだ。死ぬのが東京都民でなければいいのか。考えたことがあろうか。福島原発の殆どの電気を東京エリアで消費していたのだ。今都民が挙って原発ゼロを決めて国の方針を変えさせる事が故郷を失った福島の方々に対する誠心誠意の謝罪であり、義務ではないのか。医療福祉の向上等は国が、東京が存続さえすれば、必ず誰が知事であつても行うことなのだから。