共に「論語」にある孔子のことばである。「間違いに気がついたら、すぐにあらためなさい。それを改めないことがまちがいなのです。」と言う事でしょう。
最近「小泉元首相」がさかんに「原発ゼロ」を叫んでいるのが目立っている。彼もまたかつて自民党で「原発建設推進」のはずであった。少なくとも長期政権の中ではそれを言ってきた記憶はない。彼は今それが「過ち」であったことに気がついたからなのだ。私も九月の一言に書いたことだが、「原発」が過ちであったこと、時期尚早であったことは国民の大半がすでに気付いていることだ。
「核」を完全にコントロール出来る技術が全く未完成の中で、その一部の「反応エネルギー」だけを利用しよう等と考えたこと自体「欺瞞」と言わざるを得ない。およそ半世紀にも亘り、未解決のまま先進国と言われる国々で使われ続けて、廃棄物の遣り場に困って来て、やっと「廃止」を打ち出す国が出てきたのが現状のようです。
「小泉元首相はなぜ変心したのか」との「見出し広告」を見て、又この問題を取り上げることになってしまった。彼は「変心」したわけではないであろう。今「原発事故」が現実となり、その事を真剣に調査研究をした「結果」、「原発事故の怖さ」と「技術の未熟さ」を知らされて、末恐ろしくなり、早急に原発依存から脱出することが、現在取るべき最善の道であると理解したのだと思う。
にもかかわらず、現政権は尚「経済発展の為には原発は欠かせない」という「盲信」に取り付かれているし、安倍さんに至っては「原発」を輸出の花形として「後進国」に売り込んでさえいる。
改めて考えなくても、あの原発事故の処理は全く何も解決していないし、今後の見通しも全くゼロに近い現状を無視して、真剣にこの国の政策を考えているとは思えない。ましてや我が国は世界唯一の「被爆国」である。ただ財務省、通産省あたりの官僚に踊らされて、一に経済二に経済では、国民の安全と将来は大丈夫なのだろうか。やたらと「活動」しているかのようだが「大謀」「大智」は「熟慮」の末にあるのではないのだろうか。