性悪説を唱え後天的修養を重視した「荀子」の言葉で 「知識は疑わしい事は取り除き、行為は過失を犯さず、物事は後悔のないようにすることが肝要である」 と「指導者」は、かくあるべきであると言ったと言う。そのくらいに上に立つ人は言動に注意しなければならないのだ。
安倍さんの 「汚染水は完全にコントロールされている」 発言が、国民を初め世界の疑念をより拡大してしまった感がある。ほんとうにそうなのか、事態はもっと深刻な状況にある事が明らかになってきている。小出しに伝えられる漏水の問題も、東電は最初から処理不可能と判断し、漏水を装って垂れ流し、膨大な海水で希釈してしまう意図があったと観られてもおかしくない程に、判明して来る状況とその稚拙で場当たり的対策を見ていると思わざるを得ない。あの林立する汚水タンクを見るとき、30年も40年も増え続ける事は想像も出来ないし、不可能である。大体一旦トラブレば全く自然消滅するまでなんの解決策も、コントロールも出来ない危険極まりないエネルギーを「コストの安いエネルギー」として使う判断を誰がしたのか、科学者の思い上がりだったのか、経営者の得られる利益ばかりを見ていた目先の損得判断だったのか、献金につられて安全を無視した政治家共の無責任さだったのか、全ては後の祭りである。
今現在、原発の稼動はゼロだという、火力水力の従来型に加えて太陽光や風力等の新発電装置も有り電力は不足していない。それならば原発の稼動は諦めて、全てを時間を掛けて廃炉の方向に向かいながら、火力水力型をより効率の良いものに改良したり、小規模のものを各地域に増設したり、再生可能なエネルギーの利用の推進等があれば十分にまかなえることが出来る筈だ。もつと早い時期に判断されるべきだったが、福島の事故が決断の時ではなかったのか。事故処理と廃炉に掛かる何兆円もの費用と、被災地と被災者の保証に掛かる膨大な費用、まして故郷を失った人々の心のケアまでも考えれば、とても使えるはずが無いのではないのか。その上に使用済燃料である核廃棄物の膨大な未処理もそのままに、早期再稼動を政府に働き掛けるとは呆れ果てて言葉が無い。
オリンピックで日本中が沸き立っているが、あの何にも復旧されていない東北被災地の事をさて置いて、何が出来るのだろうか。国民の、又世界の目を被災地や原発から背けさせる気ではないのか。あの何万人もの被災者、死亡者、行方不明者に受け入れられるとでも思っているのか。全てが他人事なのである。当事者の東京電力、政府関係者にはこの事は特に念頭から外してはならない事なのだ。