とは「史記」に有る言葉で、孟嘗君が父親の田嬰を諫めた時の言葉と言われている。
将軍の家からは必ず将軍たるべき人材が出てくるし、宰相の家からは必ず宰相たるべき人物が出てくる。と言う意味である。今回の選挙で特に気になった事項でもあり、「世襲」政治について考えてみた。
よくある医者の息子が医者になり、学者の子が学者になるのは、八百屋の子が八百屋になり、農家の子が農業を継ぐのとは全然意味が違うのと同様に、政治家の子が政治家を目指すのは又かなり違っているし、違わなければ成らないはずである。その違う意味をを理解しているか否かが重要なポイントだが、その理解が出来てない連中が批判の対象になり、ひいては世襲批判の原因になっているのだ。
「門前の小僧習わぬ経を読む」わけで、子供の時からその環境にあれば、それなりの心得が自然と得られ、親の背中を見てるだけでもそれなりの帝王学が生活の中からも会得できている筈である。もっともそれには、その親が立派な働きをした、今では死語になってしまった「井戸塀政治家」であった事が必須条件である。なぜなら近年政治家が多額の報酬と各種のお手当てで「黒塗りの高級車」を乗り回すようになって、他のどの職業よりも割りの良い職業になってからは、立派な政治家の話はとんと聞かれず、「質」は落ちるは、自分たちの事ばかりで奔走するは、浅ましい限りの「守銭奴」に成り下がってしまったからである。お陰で国は衰え乱れて、若者は意欲を失い、子供は減り、外国からは蔑視され軽んぜられて見る影も無くなって来てしまった。つまり「割の良い職業」であってはならないのだ。
この度の政変で解った事だが、政治家はまるっきりの素人では空白か無駄を生じてしまう事である。やはり素地と学問とある程度の経験学習が必要である。その範囲では「その人を知らざればその親を見よ」という事も一理である。安倍総理、石破幹事長等を見ているとある程度の世襲も悪くは無いかとも思えてきた、アベノミクスと言われるいきなりの経済政策も今の日本にとってカンフルになりそうであるし、政治が主導している所が良いし、あの寝ぼけ白川総裁のケツを蹴っ飛ばしたところは流石だ。始動はじめとしては上出来であった。一方石破さんはやたらに語らず薄目の半白目で相手を威圧するところなどは、なかなかのキャラで大物の風格がある、この方々の世襲は良かったのだろう。日本の為に大いに期待したい。