「史記」に出てくる言葉である。「非凡な人物がいて、はじめて非凡なことが行われ、非凡な功績が成立する。」というような意味でしょう。つまり非常時には「非凡なる人物」がどうしても必要なのである、凡人共では束になっても何も出来ないのだ。それは歴史を辿れば歴然としている、然るべき時には然るべき人物が現れて歴史を動かし、時代を変えて来ていたのだ。今この「日本国の非常時」に当たって(もっとも非常時だという認識がないのかもしれないが)、自分たちの事しか頭に無い「くだらない愚かな凡人共」ばかりが国の政治を「飯の種」にしているのかが、この時点に行われる二大政党の代表選候補を視れば、よく判り唖然とし暗然とならざるをえない。
「どんぐりの背比べ」というか、あいつなら俺だってとでも思ってなのか、この機に及んで本物の政治家が見当たらないのは日本にとって大きな不幸である。仮にも「日本の総理大臣」を務めるべき人物の候補なのだが、ご自身で相応しいとでも思っているのかと呆れて言葉もない。与党の民主党でいえば、今では、野田、前原氏以外にはリーダーの資格があるとは認められない。国家的観点からか自身の将来の為か、前原氏が早い時期に「野田支持」を表明したわけだから、無駄な選挙活動などに無駄なエネルギーを使わせず、しばし休養と国家戦略の為の学習に時間を使って貰いたいところだが馬鹿共はそうは考えない。対する自民党はと言うと、今度こそ待ちに待った政権奪回のチャンスなので、他党より一層の力が入るのは当然だが、出揃った面々を見て、一様に「自民党にも全く期待できないな」と総裁選に失望し、自民党の将来性に絶望してしまった。何れものうのうと二世議員の甘い汁を吸って来た「甘ちゃん議員」ばかりで、この厳しい時代に「大日本国」を再生させるだけの経験も思慮もパワーも無く、とても強いリーダーシップを取れる程の人物は一人もいない。
これが今の日本の姿を象徴していると言ってしまえば簡単だが、それではますます没落の一途でしかない。そこで国民は藁をも掴む思いで、「日本に維新の狼煙上げ、日本を改造する」と息巻いている、「日本維新の会」に期待するしかない状態に追い込まされたのだ。その方々も十分な思慮と経験があるとは見えないが、国を思う情熱が感じられる。あの明治維新の若い志士達の様な純真さが、多少では有るが感じ取れるのが救いだ。「時の氏神」とは上手い言葉だ、もし橋下氏が出てこなかったら、勤勉だけが取り得で、何十年もの間、馬鹿政治屋どもの食い物にされて来た哀れな国民に、夢も希望も救いも無かったに違いない。こうなったら破れかぶれだ、一時の夢でもいい、もう一度騙されて見る気がなければ新しい一歩は踏み出せまい。