三文字で一句をなし簡潔に幼い子供に道理を教育する為の教科書、「三字教」にある基本的な教えである。昨今のニュースの諸々の社会問題を見聞きする時、全ての原因は基本的に此処に起因しているのではないかと思われる。
つまり、親無し、父無し、師無しが問題なのである。これではまともな子供が育つわけが無いのだ。産まなければ良かったものを産んでしまって、邪魔者扱いをし、子供の養育そのものを放棄する親。放棄どころか「しつけ」も知らない親が[躾」と称して虐待死させるに至っては、何をかいわんやである。基本的に親になる意志も喜びも無いままに、無防備に欲望のままに行った野放図な性行為の結果であるから、もともと親になる覚悟も責任感もあるはずが無いのだ。身体だけが成長してしまったガキが、セックスを楽しんだツケが回って来た位にしか考えていないのだが、この問題は又にして、もう一つ問題なのは養育の過程で父親がいない、父親の顔が見えない昨今の社会に問題があると思うのだ。
私たちの昭和の初期までは日常の躾(しつけ)は母親が行い、何かの折に躾が出来ていないと、父親が母親を「お前の躾が悪い」と怒鳴りつけて怒ったものだった。子供は母親が怒鳴られるのが嫌なので、父親の前では健気にも一生懸命行儀良く努めたものだった。その位に父親の存在は絶大で絶対であった。子供はこの怖い父親に直接怒られたりしたら大変だとばかりに、母親の言う事を良く聞いたものだった。
親父とは「雷偏(へん)に拳骨(げんこつ)と書く」と言われ、「地震、雷、火事、親父」と四大脅威の一つであったのが今は懐かしい。その親父が「友達、兄弟」同様に位(くらい)が下がり、次第に「同居人」となり、やがて「侮蔑の対象」にまで成り下がってしまった。そこにはもはや全く「威厳」や「尊厳」は存在し得ないのである。これら「駄目親」や「駄目親父」に養育され、「人間」としての躾もされないし自覚も無い「新人類」が「教師」になったから堪らない、今の惨憺たる現状と相成った。教師がこの状態なのに親は自分達も「躾」などは一切せず、というより躾など全くされていないので解らず、学校に全てを負かして責任放棄し、その責を問われると「そんな事は学校がやることだ」と嘯いている始末だ。
かくて家庭からも学校からも放置された子供たちが[新人類」以上の「新々人類」として育ってきたのも当然である。その上悪い事に仲間や集団で遊ぶ事が少なく、たとえ遊んでも全く同じ「駄目人間」同士では、より悪くなっても良い影響は受けられない。引きこもり孤立し、刺激の強烈なPCゲーム等にのめり込み、バーチャルと現実の区別が付かなくなり、思考が停止した「夢想人間ロボット」化した[大変危険な生き物」となり、もはや[人間」の「枠」から落こぼれ[仮想の世界に生き操られる動物」化しつつあるのだ。その上尚悪い事にこの「危険動物達」に[人権」と[生活保障」を与えている事が症状を一層助長し、「社会悪」と[社会負担」の増加という「負のダブルスパイラル」の[渦」に巻き込まれて急速に悪化の一途を転げ落ちている。この状況を早く食い止め少しでも好転させねばならない事が急務である。
ばらまき的な甘い、怠け者には特に甘い社会構造を改め、なんら建設的社会活動のない人間には厳しく対処し、自覚を促し、教育現場はもちろん社会全体としての教育力を高めていかねばなるまい。日本は没落の寸前まで来てしまっている事を国民全体で反省する必要がある。