「沐猴(もっこう)にして冠す」

  史記にある言葉で、心のない形ばかりの指導者を「猿が冠を被ったようだ」と蔑んで言った言葉である。中身のないつまらない人物が一旦権力を手にしてしまうと、根が愚かだからとんでもない事になってしまう。

  3月一杯は持たないと言われていた菅総理が震災に始まった大惨事に突然蘇ってしまったばかりか、こともあろうに、この大惨事をわが身の生き延びる手立てに利用し始めてしまったのだ。今世論の7、8割が菅総理を否定しているのだが、本人は自分で「いや、良くやっている」と自画自賛する始末だ。

  それにつけて思い出すのは、かつての福田首相が「私はあなたとは違うんです」と言ってあっさりと辞めてしまったことがあった。どちらも極端でどちらも国民に対し無責任な行為である。どちらも自分本位でこの大日本国の総理という重い立場を理解していない。元々この類の人間が政治家を目指し総理にまでもなってしまう、我国の政治レベルの低さが原因なのだが。その上悪い事に東工大と東大というともに最高の学歴をもっていることだ。学歴偏重の成れの果てである。

  この人達は民間企業の精々部長止まりの格しかないのに一国の総理大臣になってしまうのには驚かされる。まさに「学びて思わざれば則ちくらし」である。戦中戦後の富国強兵、経済中心の教育の中で「心」を養う場が無くなってしまって来た結果である。「心」無くばもはや「人」にあらず、人の「人」たる所以は偏に「心」にあるのだ。「心ここに在らざれば視れども見えず、聴けども聞こえず」である。もっともっと「心」を重視した教育に戻さねば日本は亡びるに違いない、もっとも「金(かね)」にはならない話かもしれないが。

2011年04月21日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ