「禍(わざわい)を未だ形(あらわ)れざるに消し、危うきを将(まさ)に亡びんとするに救う」 とは蘇軾(そしょく–北宋の文人政治家)が政治家を賞賛した言葉である。「禍が形となって表れないうちに消し去り、危険が身をほろぼさない前に手を講じる」 のが本物の政治家であると言っているのだ。今この時に当たって正に然りである。「百年目」とは「最後の時」が来た事を言うが、千年に一度の災害が来てしまったのだから大変な事である。約1100年前に起こった「貞観(じょうがん)の大地震と大津波」以上の、有史以来最大の「大地震と大津波」が起きてしまったのだから堪らない。東北沿岸はまさに壊滅的状態となり、その惨状はとても信じられない程である。
しかしこれは「天災」であり、地震帯の上にある日本の宿命ではあったのだが、「歴史は繰り返す」のたとえの如く、歴史に学ばずこれを無視して、安易に目先の繁栄と快楽を求めて来てしまった事への「鉄槌」であったのだ。最近よく使われる流行語に「想定外」があり、やたらと使われこの度も何度も聞かされたが、実に無責任な言葉で責任逃れも甚だしい。過去に有った事は当然「想定内」のことでなければならない筈である。「平時にありて乱を想う」のが指導者の最大の責務である。「備えあれば憂いなし」であるが、何の備えもない菅総理の事後の処理の悪さが不幸の二次災害となって、まさに「最大不幸社会」が実現してしまった。東京電力の原発事故はその中でも最悪であり、その露呈した甘い危機管理体質は「原子力」という危険エネルギーを扱わせる企業の資格なぞ全く無かったのだ。これはこれまでの政治家の責任でもあるが、平和呆けした国民にも危機管理能力が欠如していたことが、災害をより大きくしてしまった事を「猛省」し、今後の国づくりに活かさねば亡くなった2万人以上もの方々が浮かばれまい。
今真っ先にしなければならないことは「石原慎太郎」を総理にし、谷垣、菅が副総理となり各党派より閣僚を集めて、2年位の期限付きの「危機管理復興内閣」を立ち上げて、国力を結集して解決に当たることが絶対に必要であろう。