「論語」に書かれいる言葉です、「くらし」は網のように良く見えなくぼんやりしている、「あやうし」は「彼を知り己を知らば百戦殆うからず」の反対で、今にも負けそうで危険が一杯だの意味です。
昨今の政治家達、特に総理大臣になった人達に感じていたことである。功なり名とげた方々には大変失礼ではあるが、皆さん立派な大学で学んだ経歴をお持ちで、なんら学歴に不足はないが、学びはしたけれど、自分の頭で考えて、学問を自分のものにして活かす事ができないから、学んだことが学歴以上の効果を現さないのである。
最近民主党の「大塚耕平」氏と、みんなの党の「浅尾慶一郎」氏の討論を聞く機会があったが、お二人ともにその広い見識と冷静な判断力と共に、十分な表現力と人格を兼ね備えているのには感心した。このレベルの政治家ならいくら高い議員報酬も惜しくないし、日本の将来を託すに十分な方々であると思った。目的意識をしっかり持って人生を歩んでいる青年政治家の見本である。日頃その他大勢の無能政治家共にうんざりさせられていたので、特に際立って感じられたものだ。
それにつけても、何の目的も希望もない若者が国中に溢れて、学ぶこともせず、思うこともせず、ただなんとなく生きてはいるが、なんの仕事もしようもしない植物状態の青年がごろごろいて、これを親が黙認し放置して、その上社会保障費で寝床と食事を与えて、無為に生かされている現状に、当人の人生も然る事ながら、日本の現状と将来を思うとき、暗澹たる気持ちに陥ってしまうのは私ばかりではないだろう。見識のない政治家と楽することしか考えない愚かな小役人に、一切を任せて来たこの半世紀で、日本人の殆どが劣等民族に成り下がってしまった感じがする。正に「殆うし(危うし)」である。