「意なく、必なく、固なく、我なし」

  論語によると、孔子先生はこの四つの欠点を表さない優れた方であったと書いてある。つまり人格者は意、必、固、我、のいずれもが持ってはならないものであるらしい。しかし私は、これらは現代の若者たちに欠格しているものではないかと思った、とすると現代っ子たちは孔子にも劣らない人格者達である筈だが、とも思って岩波の漢語辞典を開いて見た。意は心の動き、こころばせ。必は必ず持っていなければならないもので期する心であり、固はかたくしっかりしたものであり、我は主体としての自己とある。

  ここでますます我が意を得たりと相成るわけであるが、どっこいそうは簡単には行かない。なにしろ相手は二千数百年に渡り人間の教科書とされてきた孔子であり論語だからである。それこそ杜撰な解釈として軽率の謗りを免れ得ないのだ。意が主観だけで憶測することであり、必は自分の考えを押し通すことであり、固は固執であり、我は我を通す事だからだと解説されていた。これだから漢字文化は幾つになっても理解し切れない底の深さがある、日常語として使っているものでもこれだから、このうえ外国語などとは所詮キャパを越えた話で、虻蜂取らずの果てに鷹の餌食になる羽目になるのだ

2009年06月30日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ