まずは、普段は何も考えないで、当然のように法治社会の恩恵の中で気ままに生活していて、さして不自由も差し障りもない有難い国に生まれ育ったことに感謝したい。ところがこの平和な社会の秩序を無視したり乱したりする者が現れると、途端に法律で雁字搦めになって全く自由のない、自分の常識さえ怪しくなってしまうような社会に一変することになるのだ。「法」の役割は、個人が幸せに生活出来ることを保障してくれることにあるわけですが、いわゆる常識という最低限の人倫や社会規範等が底辺にあって成り立っているものだから、これさえも無視されてしまうと、法も秩序もあったものではない。最近の社会現象はそんな訳の解らない連中によって所謂「公序良俗」を掻き乱されて、混沌として整理がつかない状況なのではないか。
そのうえ厄介なのは、「価値観の多様性」とか「価値観が違う」と言う奴だ。この一言で常識的には「悪」が「善」に肩を並べてしまう始末なのだから恐れ入ってしまう。言ってみれば何でも有りって言う「魔法の言葉」なのだ。良く政治の世界で使われる「リベラル」なんて言うカタカナ言葉も全く実体の掴めない怪しげなものなのだ。これらは法の解釈以前の問題であるのに、その上法の解釈にも又諸説が有る様では、混乱しないほうがおかしいのだ。