「必死」とは

  命懸けでとか我が身を省みず死すら覚悟してとかの意味ではあるが、今の日本ではそんな意味合いではなく、よく言う「命を賭して事に当たりたいと存じます」というような内容がない形容詞の一つでしかないようである。

つまりは「心」もないのに心にもない言葉を軽々しく使って、恬として恥じない見せ掛けだけの人間が横行していて、周りの人間も咎めるどころか不快感も違和感も感じない世の中は当に末世としか言いようがないのだ。

  漢字が読めない総理大臣が話題になっているが、漢字が読めなくても志が高くその必死の心が伝われば、誰も軽蔑をするはずがないのだが、いかんせん肝心の心が伝わらないと言うか伝えるべき心がないのだから始末が悪い。上がそうなら押して知るべしであろうが酩酊大臣に至っては論外である。政界には恥を知らない人間が多いようだ。このような己の稚拙ささえ判らない破廉恥な人間どもがなぜ大臣にまで上り詰められるのか、庶民にはとても理解しえないことだ。

  一昔前なら怒れる志士が刺し違えてでも即刻排除しただろうに、今はその緊張感さえなくだらだらと際限もなく醜態を見続けねばならない。これが民主国家であり、法治国家の姿なのだろうか、日本国民として、今度こそ必死で考えねばならない時であろう。

2009年02月21日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ