「亡くなって知る親の恩」

  生きてる時は煩いばかりで、特別有難さを痛感することもなかったが、亡くなって改めてその愛情を身にしみて感じるものである。もっとも、それは、ひたむきな愛を注いでくれた私たちの親のことで、昨今の無責任な親には如何なものか判らないが。

  さて、「健康」とは健全な体の状態を言うのでしょうが、これが又、無くなってみないと有難さを感じないものである。それは恰も水や空気のようなもので、生きていくのには不可欠なものだが、と言っていつも感謝して飲んだり吸ったりしているわけでもない。ところが、ある日ある時突然に「あなたは癌です」と告げられて、ガンと頭を叩かれたおもいをするわけです。そしてすぐ「俺は後どれだけ生きられるのか」と死刑を宣告されたおもいを味わうのだが、そのショックから我に返ると「俺は健康に気を付けていなかったな」としばし反省にさいなまされるが、完全に「あとのまつり」なのだ。健康な体は、健康的生活習慣の中で着々と作られていくものだから、俄かに反省しても、もう「駄目」なんですが、以後反省を実行する事は大切なことで、余生を伸ばす事には有効でしょう


  手術してやっと生き残って退院した帰り途に、鰻やで一杯やって帰り、三日後に快気祝いでドンチャンやって、翌日はお花見で十時間も飲んで来る奴は、もう地獄に落ちるしかないのだ。皆さん、健康にはくれぐれもご注意くださいますように。

2008年05月15日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ