いつの頃からか、どの世代からか、民族の誇りとか同胞意識とか、小さくは家族関係とか友人兄弟関係いう類のものが消えてしまっていた。いや存在はしているのだけれど、内容のない薄っぺらなものに変質してしまったと言うべきか。戦後の極端な偏向教育により、個人の権利尊重が行き過ぎて、履き違えたエゴイズム第一主義が蔓延してしまった。その結果エゴは飽くなき欲望の追求となり、人目も憚らず他人の迷惑をも顧みずこれに没頭していても、周囲は、誰も両親さえも注意どころか一顧だにしない無干渉社会が出来上がってしまった。
それならそれで人間関係の煩わしさから開放され、自分が求める時だけ入り込めれば都合の良い社会なのかもしれないが、どっこい自分が何も築いて来なかった者には、そんな都合の良い社会なんてあるわけがない。「後の後悔先に立たず」である。確か柳生新陰流の奥義に、「月は映るとも、月を映すとも見えず、猿沢の池」と言うのがあったと記憶しているが、実に味わい深い言葉だ。