最近は街中で、いわゆるべろんべろんの酔払いを見かけることは稀である。一昔前には、宵闇迫る頃ともなると、駅の周辺には正体をなくした酔払いが溢れ返っていたものだった。反吐と小便の臭いが充満して、息を詰め顔を背け駆け抜けたものだった。やはり酒は「心の憂さの捨て処」だつたのだろうか。生活が向上するに従って減少して来たのは、「衣食足りて礼節を知る」ってことなのか。
この度の、草薙剛氏のニュースには薬物ではない「酒」の怖さを改めて考えさせられた。昔は「気違い水」とも言われた時代もあり、禁酒法さえあった時代もあったが、全く意識を失ってしまう事になるとは恐ろしいものである。「悪酒は悪人の如く、相攻むること刀箭より劇し」と蘇軾の詩にあるが、当に彼は一刀の下に斬り捨てられてしまったようだ。この場合は彼にとって運が悪かったし、周囲ももう少し寛容であっても良かったのではないだろうか。誰も被害を被っていない様だし、彼にとっては「桃源郷に遊ぶが如し」だったように思われるふしがあるからだ。法治国では往々にして人間性を否定され、個人の尊厳すら否定されてしまう場合もあるという事も考えておかないとならないのだろう。蘇軾は言う「人其の酔うを見るも、吾は中了然たり」でなければならない。心しよう。