師走ともなると町中いたる所にツリーがキラキラ輝いて、ジングルベルのメロディが鳴り響いていたのはいつ頃だったのか、遠い昔の思い出のように思われる。サンタクロース姿の客引きが袖を引っ張り、三角帽子の酔っ払いが怒鳴ったり歌ったり、人の波で満足に歩けない程賑わった師走の町は、何処へ行ってしまったのか、今はただ懐かしくも感じられるのは、あまりにも閑散とし暗く寂しい夜の風景の所為だったのだ。キリスト教信者でもないのに、なんであんなに浮かれたのか浮かれられたのか、不思議な思いで懐かしんでいる。きっとあの時代には弾ける切っ掛けを皆が欲しがっていたのかもしれなかった、が今は弾けたいとも浮かれたいとも思わないほど冷え切っているのだ。
株安、円高、不況、デフレスパイラル、政治不信、毎日毎日こんな忌むべき言葉の渦中に居れば心の底まで冷え込んでしまっても不思議ではない。ここまで落ち込むまで何も手を打たないで成り行きに任せ、言葉だけは回復基調を唱えつづけていた政治家共と、馬鹿政治家を陰で操りわが世の春を満喫していた欺瞞官僚に、欺かれ続けながらも搾取に耐えながら必死に働いてきた中小零細な事業家達も、今や矢尽き刀折れ次々討ち死にしてしまっている状態である。今先進国の中で最も不況で回復の見込みさえ付いていないのは、偏に優れた政治家を育てて来なかった国民に付けが回って来たのだ。我々一人一人が本物を見分ける眼を持たねばならない。昨日のテレビで、あの小沢が我が国は民主主義の国だ、天皇といえども国民が選んだ俺の言うことが聞けねえのかと吼えた。岩手県民に目を覚ませと言いたい。