「馬 鹿」

  梵語の「慕何」(ぼか)からきた言葉と言われているが、俗説の秦の良く知られた故事「鹿をさして馬となす」の方が面白い。

  紀元前221年に初めて中国を統一した秦の「始皇帝」はリーダーとして素晴らしい才能を発揮した優れた指導者であった。早くも郡県制を採用し中央集権専制国家をつくりあげ、文字、貨幣、度量衡、車軌、思想等の統一を成し遂げ、分散していた長城を繋ぎ上げて「万里の長城」を完成した。

  これほどの人物でも身近に信頼する部下を置かず、始皇帝が旅の途中で病死した時に、身近にいたのは「宦官」(かんがん=男性器を切除した身分の低い召使)の「趙高」だけであった。趙高はこの事を悪用し皇帝の死を隠し、皇帝に成り代わって権力を振るい策謀をめぐらし皇帝の末っ子の「胡亥」(こがい)を抱き込んで二世皇帝として、自分が権力を握ると元々が卑しい人間の出ですからやりたい放題となり、次は自分が皇帝になる野心を持つようになった。そこで役人達が自分の言うことをどのくらいきくのか試したくなり、百官の居並ぶ前で、鹿を引き出して皇帝に「馬でございます」と言って献上した。皇帝は「これは鹿ではないか」と言ったが、「趙高」に睨まれた役人達は口をそろえて「陛下、これは馬でございます」と言ったという。

  二千年も昔の故事ではあるが、今私の頭はこの事で一杯となり、馬鹿、馬鹿、馬鹿と割れんばかりに痛いほど叩くのである。この間の物質文明の進歩は著しいが、精神構造や社会体制は全然まったく進歩してない事が判って愕然とするばかりである。確か秦も三代目で滅んでしまったのだ。

2010年05月23日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ