「民、之に由らしむ可し、之に知らしむ可からず」

  孔子が政治の難しさを嘆いた言葉で「人民を、政府の政策に従わせることは出来るが、政策を解らせることはなかなか出来ない」と言ったのですが、これを「民には、なるべく知らせないで、従わせればよい」と曲解し、封建的専制政治を表現するのによく使われているが、これは間違った解釈である。現代は選挙によって選ばれた議員達による代理民主政治(間接民主政治)であるから、選挙のときにだけ真剣に、この人ならば任せられると思う人を選んで置きさえすれば、国民は安心して、日常は個々の仕事に勢をを出していればいいのだが、現実は思うような人が選べなかったり、選んだ人が思うように働いてくれなかったりで、毎日の沢山あるニュースと情報に苛立ったり、良くなるどころかどんどん悪くなる現況に腹が立ったりで、日常の仕事にさえ支障を来たしているのが現実である。政治家を目指す人材が不足しているのと、国家国民の為より自分の懐を暖めることに専念するような、志の貧しい人間が多いことによるのだが。

  人物をつくるには百年掛かることを考えると、選挙制度を考え直すか、国民全員が参加出来る「直接民主政治」をも考えねばなるまい。現在のインターネットの普及を考えると不可能ではないはずだ。現に世論調査等は事項毎にすぐに表示される時代ですから十分可能性があるわけです。一方情報過多の為に混乱が起きているのも事実です。専門家か学者ででもなければ必要ないような細かいデータなどは混乱の素である。この度の原発事故では、特に目に見えない放射能であるだけにその感がする、情報だけ公開すれば責任を回避出来るような感じである。政府の判断が信頼できないから知りたい、知れば知るほど信頼出来ない。このジレンマから抜け出すには、さあ、どうすればいいのか。

2011年05月19日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ