とは中唐の詩人「白居易」の言葉である。また「刑罰は、乱を治むるの薬石なり」と「後漢書」にも書いてある。つまり刑罰は世の中の乱れを正す「薬」であるから、余り解り難く煩雑だと、世の中の乱れを誘い、濁った水の中にいるようで、息苦しくて生きて行けなくなってしまう。ということである。
「被疑者小沢」の無罪判決は、当に世の秩序を乱し、法治国家を冒涜し、国家を危うくする「亡国の判決」と言わざるを得ない。無理に無罪にする為に訳の解らない理屈をこじつけた結果で、こんな解釈が出来るなら有罪者は現行犯逮捕しか無くなってしまう。
いわく「違法性を十分認識していたか不明である」と言う。だから知らぬ存じぬの一点張りで「無罪」になれる訳で、裁判官自身が「法」を骨抜きにし、免れる方法を探っては「無罪」にしていては、法律なんて「糞食らえ」とばかりに「悪党」がのさばる事になるのである。
国民の7、8割が「有罪」と思っているし、そうなる事が常識的で当然と思っていたものが、「無罪」の判決に唖然として「こりゃ、日本はますます駄目になる」と脱力感を感じたのは私ばかりではない筈だ。彼は言った「裁判官の良識に敬意を表する」と。彼自身が一番「有罪」なのを知っているのに。「仰ぎて天に恥じず、伏して人に恥じず」と人の上に立つ人はかくあるべし、と「孟子」は申しました。
「書経」に「刑は、刑無きを期す」とある。刑罰を科すことにより「悪事を働く人間が減り」次第に刑罰がいらなくなる事を目的にしているのだと言う。正に逆効果である。たしか「彼」は日大の法学科に学んだ事が有った筈で一体何を学んだのだろうか、法の抜け道だけを学んだに違いない。
それにしても、この「小沢先生」を崇拝して徒党を組んで取り巻いている「先生方」は一体何なのだろう。「無罪判決」に涙を流し、祝賀会をもようしたそうだが、こんな人達に政治をまかせておいていいのでしょうか、どんどん悪くなっていく「日本」が、やがて崩壊して行く姿が現実になって来た。