とは「倉廩(穀物の倉庫)実つれば礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」を解り易く省略したもので、「管仲」が書いたといわれる「管子」に有る言葉である。
終戦後の貧困を味わった我々の年代には、辛い厳しい経験と共に、懐かしくもあり切なくもある言葉である。戦後六十余年、今や「飽食」どころか「過食」の弊害を注意される時代であり、衣服は中国製や東南アジアの製品があふれて一頃の十分の一程で手に入るものだから、簡単に買い換えて捨ててしまう生活になれ、有り余る豊かさの中で、今度はせっかく知った「礼節」も「誇り」も「恥辱」さえ捨てて、忘れ去ってしまったようだ。
今騒がれている、「生活保護費」不正受給の件である。この件は巷間では何十年も前から話題になってはいたが、全くそのまま放置され、助長されかなり大きな深刻な問題になって、やっと政治的に問題視されたものだ。その費用額は驚く事に3兆7000億円以上とかいわれる。 広い社会には様々な理由によって、働けずに収入が無く衣食にも事欠く人達もいて、中にはこの飽食の時代に餓死する人すらいるという。このような真の弱者に社会の恩恵があることは、私たちにとっても心の救いになっている事も事実である。ところが現在の209万人以上といわれる受給者の多くは、弱者を装って働かずに怠けていたり、働いたことを隠して申告しなかったりして不正に受給し、この国民の税金をパチンコ賭博に使ったり、飲酒遊興に使ったり、とにかく目的外の使われ方をしている事実がありながら、何十年もの間改善を図ろうともせずに放置し、税金を浪費し続けて来た責任は、同じ「税金浪費族」の一部の政治家と役人達である。
「ある政党」はこの制度の悪用を売り物にしているともいわれてさえいるのだが。このように国の「生血」をむさぼる「蛭(ひる=生血を吸って生きる小動物)」のような人間達を減らさなければ、国は貧血を起こし倒れるしかないのである。まさに合法化を装った寄生虫(パラサイト)のような種族である。あの「ギリシャ」も観光以外には大きな産業もない上に公務員が7、8割に達すると言われている。それが近隣国に迷惑を掛けていてさえ身を切る改革に反対しているとは、どこかの国も良く似た道を歩んでいるように想われるのだが。
皆が貧しい時代には皆で助け合う事が当たり前のように行われたので、人の物を盗ったり、騙したり、嘘をついたり、人に迷惑をかけたりすることは厳に慎まねば成らなかった。またそんな人間は人間としての尊厳を捨てた蔑むべき人間と看做されたので、みんなが人の目を気にして、蔑まれないように、恥ずかしくないように生きて来たものであった。まして公金横領のような事は卑しむべき犯罪に近いものだから厳に慎まねばならなかった。「栄辱」とは「栄誉と恥辱」のことである。共に心の問題であり、あの知的で慎ましく誇り高い「日本人」は何処に行ってしまったのか。これも又戦後教育の欠陥の表われではないだろうか。