「功ある者は自ら功有り、禍ある者は自ら禍有り」

  功績も災禍も天から来るものではなく、全て自分が日頃の行いを通じて招き得たものである。という意味で中唐の天説に書かれている言葉である。

  この度の衆議院選挙は、その意味に於いて因果応報がはっきり出て非常に興味深かった。おこぼれ当選であったり、予期せずに与党となってしまったり、夢にも見なかった大臣になってしまったりで、すっかり有頂天の夢心地で、何をどう遣って良いのかも判らない連中が、右往左往して「政治ごっこ」をしていた民主党の面々は、痛烈なストレートパンチ一発で完全にノックアウトと相成った。

  そんな連中の「恨み節」を聞かされたが、全て解散をした「野田総理大臣」が、判断を誤ったとか、先が読めない独り善がりの小さい人物だとか、話にもならない自爆テロだのと言いたい放題であるが、その言葉をそっくりその人間に投げ付けてやりたいと腹が立った。民主党の中で唯一光を放っていたのは野田さんであったから。

  特に、最期になれば成るほどに、本物だけが持っている「胆力」「知力」に迫力を増し、近年に無いすばらしい人材ぶりには惚れ惚れしてしまった程である。辞めさせるにはいかにも惜しい人材だったが、野田さん一人では如何ともし難い事態であったのだ。その中で見事に絶妙のタイミングと間合いで「伝家の宝刀」を抜き放った、正に居合いの名人と言っても良い技であったのだが、不心得な人間どもには其れが解らないし、またその位の人間しかいなかったのだ。その愚か者達がよってたかって、野田さんを吊るし上げたのには開いた口が塞がらない。馬鹿は死んでも治らないらしい。

  揺り戻しと敵失も重なって、自民党が思わぬ歴史的大勝となってしまったが、この三年余の民主党に破壊された日本を正常に戻すには、いったん「新生自民党」に任せるしかなかったのだから、これで良かったのだ。特に崩壊寸前の日本の回復には、即効性のある政策の実行が必要であるからだ。それにしても一寸した民意の変化が思わぬ大差になってしまう、現行の選挙制度にも改善の必要があろうが、国民が想像以上に良く見ているものだと感心させられた。くだらない政治家だと思っていた人は、ほとんど逆風の中で姿を消した、大物議員と言われた人でさえ辛うじて生き残ったか、厳しく審判され処断されていた。

  期待の「維新の会」は伸び悩んだが、人材不足、資金不足、時間不足のなかで善戦したと思う、「期待の芽」はしっかり残してもくれた。ご苦労さんでした。それにしても約半分しか投票に行かないのはなぜだ。もっともっと自国の政治に、若い人こそ関心を示さなければこの国は良くならない。

2012年12月29日 | カテゴリー : 今月の一言 | 投稿者 : ハンドレッドリーダーズ