初唐の劉希夷(りゅうきい)の作詩で二十六句からなる長詩の一節ですが、まさに名句ですね。あまり知られていない作者ですが、この一句はあまりにも有名ですばらしい句です。毎年毎年花は同じような姿を見せくれるが、それを見る人は毎年変わってしまっている、という句ですね。今年もまた花の季節が来て、爛漫の桜の花が春が来た事を見事に表現してくれ、日本の誇る最高の景観を楽しませてくれました。が一方たくさんの名優、や有名、無名人が亡くなり悲しみや寂しさをも味わらされる時節でもあります。特にこの長寿国で、七十の声も聞かずに逝かれた方々の、無念や如何ばかりかと思い遣り、心が沈んでしまいます。その事を思えば、わずかばかりの不幸を嘆いたり、悔やんだりせずに、今小康を得て生き長らえている事に感謝して毎日を充実させねば、先立った方々に申し訳が立たない気がしている。
人が生き、その人なりの人生を過ごし、天寿を全うする。ただそれだけの事ではあるが、その間に、発明発見をしたり、物を作ったり、名演技や一芸に秀でていたり、ただ優しさだけだったりで世に何らかの貢献が出来た人は、何もしなかった人より幸せな人生であったはずですが、充実した人生を過ごした人ほど時間の少ない事に悩まされ、苦しみ、無念の心を残して逝ったに違いないのだ。この辺りに幸福の尺度があって、それは「お金」では買えないものなのだ。
かつてのITバブル時代の寵児であった「ライブドアの堀江」さんが、この度刑期を終えて戻って来ての会見を聞いて、この人はやっと今、まともな大人になり、世の中には「お金」以上のものがあって、それが人生の目的ではない事に気が付いたようだ。世の中が「お金至上主義」に席巻され、子供ばかりか大人までが人生の目的、生きている価値を見失ってしまっている現状には良いお手本であったのだが、最近の「アベノミクス」の掛け声バブルには、まだまだ反省が足らない正体が見え始めている。資本主義社会の欠陥の部分ではないだろうか。安倍政権の調子に乗せられてばかりではとの危惧も感じられる。
教育が芸術、芸能、文学等の文化を尊重し、これに親しみながら「豊かな心」の育成に務めなければ成らない時ではないのか、勝ち組負け組があまりにも経済活動に偏重し過ぎていないのか。本当の人生の目標を一人一人が自分なりの仕方で、価値観で求め追求して行ける成熟した大人社会を目指してみたいものだ。「学に非ざれば以て才を広むる無く、志に非ざれば以て学を成す無し」(学問無しでは才能を広げる事は出来ないし、志ががなければ学問は完成しない)。名軍師「諸葛亮」(しょかつりょう)が我が子に与えた訓戒である。